今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

夜の影帽子【28話】死神

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 女は窓から街の方を眺めた。密集した建物から孤立した女の家は、開けた荒地に街を少し上から見下すように建っていた。

 あの街が嫌いだ。魔法使いマーリンが作ったジュリアナは元々はわしの故郷の静かな村だった。わしが離れた数十年の間にこんな汚れた土地になってしまった。森が消え、動物もいなくなった。海が淀み、旅行船や貨物船が行き交うようになった。街の中心はゴミを覆い隠すように建物が入り組み、悪臭を漂せた。貧富の差を明確に区分した構造は人々の心まで黒い蒸気で染めていくようだ。年々人が増えて、とうとう悪魔まで巣食うようになってしまった。

 だからといってわしが追憶に黄昏るほど、過去の思い出は美しいものではない。自然豊かな田舎だろうと、喧騒の激しい都会だろうと、人間がそこにいれば差別が生まれるのだ。


「ガマガエルのペトロロス」と呼ばれ、村で毎日いじめられた。

 昔から笑い者だった。どんなに努力してもカエルに変える魔法しか使えなかった。学校という小さな競争社会でもそれは続いた。「井の中のペトロロス」「才能がないから退学しろ」「イボが感染る」と毎日のように言われ続けた。それでも魔法使いになりたかった。歳を取り続けながら、毎日鍛錬に励んだ。若い才能に追い抜かれていく屈辱を何百と経験した。それでもずっと一人で魔法を作り続けた。

 そんなある日、村で悪魔退治の依頼が舞い込んできた。時間はかかってしまったが、今こそ村人を見返す絶好の機会だと思った。

 そいつは森の中で魔法の杖に夢中だった。全身は黒く、角と尾が生えている小さな小人のような悪魔だった。

 奴を脅した。すると奴は笑い転げて言った。

「俺と全く同じ目をした魔法使いが現れた」と。

「なぁ?そんなヨボヨボじゃ村人に復讐できないだろう?永遠の命が欲しくないか?」

「悪魔の取引などには応じぬ!わしは村の英雄になるのじゃ!」

「ならなんで他の魔法使いにも依頼してんだ?なんであんたを一番最初に俺の元に寄越した?」

悪魔は悪魔らしい笑みで微笑んだ。

「あんたさ…囮なんじゃね?」

「黙れ!今すぐ貴様を醜いガマガエルに変えてくれるぞ!!」

「残念だよ。まぁ命までは残しておいてやるよ。」

 わしは一瞬でガイコツの姿に変えられた。魂の宿った生きているガイコツだ。わしがこの姿に変えられたとき、木の影から見習いの若い魔法使いが黙って覗いているのが見えた。後の英雄となるマーリンであった。

 ガイコツのわしは逃れるように村を離れた。他の村々を転々としては肉体を取り戻すために魔法の実験を繰り返した。次から次へと病人の元を駆け巡り、魂を操れる魔法を研究した。いつしか、わしは各地で「死神」と恐れられるようになった。

 月日は流れ、ようやく新しい肉体を手にし、わしは村に帰ってきた。しかし故郷は跡形もなく、ジュリアナという街が出来ていた。街にはマーリンの伝説が生まれていた。その伝説にはなんとわしの事も書かれていた。欲深い哀れな老人魔法使いとして登場していたのだ。マーリンはあの時わしを助けずに、英雄になるための踏み台にした。わしは悪魔と最後まで戦ったというのに、この街どころか国中で一生笑い者にされることになったのだ。これ以上の屈辱はなかった。

 マーリンを殺した。わしを虐げた村の者たちを探し出しては殺した。すでに寿命が尽きている者は魂を強制的に呼び戻して沼のガマカエルに転移させた。

 わしは肉体が老いるとともに魔法が使えなくなった。それはわしにとって「死」よりもはるかに恐ろしいことであった。寿命が尽きる前に魔女や魔法使いと結婚しては肉体に憑依し魂の入れ替えを繰り返した。

 本当は永遠の命などいらなかった。褒められたかった。愛されたかった。それだけだった。わしが三百年も嫌いなはずのこの土地を離れられないのはある種の呪いなのだ。わしはここにいると、ただ誰かに認めて欲しかっただけなのかもしれない。

 

 女は窓を開け放した。すると一羽のカラスが窓の淵に降りてきたら、女に向けて鳴いた。

「くくく。そうか港か…。リリィも性悪じゃのぅ。」

 女は出かける準備を始めた。黒い衣服を纏い、長いステッキを手にした。

 妻に憑依してからニ週間が経とうとしている。ようやく身体が馴染み、魔法も使えるようになった。魔女の素質のある妻はわしの魂を受け入れてくれた。最高の細君であるまいか。わしの中でゆっくり眠るのだ。お前の身体を傷つけはしまい。この若々しい肉体と美貌を手に入れ、これからわしの書いた黒魔術のレシピを取り返す。そして最後にマーリンを殺した時に盗み損ねた魔法の杖が揃えば、わしはこの王国で一番の魔法使いになれる。


「さぁ、カラスよ。貴様のご主人様の亡骸を見にゆこうではないか?」