今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

砂の中から

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 殺伐とした平日の新宿駅の構内は往来どころか四方八方に行き交い、ぶつかりそうな人は眉根を寄せてすれ違うと、マスクの下で舌を鳴らしたに違いなかった。あの改札の流れを止めさえすれば、ビタッと渋滞が作られて注目を浴びる。僕が颯爽と身を引くとなにかの製造工場のローラーが再び回り出したみたいだった。

 そういえば定期が切れていたのだった。弾かれた異物はチャージのために引き返す。

 一日372万人が早送りで行き急ぐ異質な空間で、自分のアイデンティティを振り返るのも野暮で、マイノリティなどを考えると息が詰まりそうになる。僕の卑屈な価値観は鉄の動脈が流れる低い天井と人の流れに逃げ場を無くして追いやられ、全てを陳腐に変えてしまう気がした。

 社会の歯車がどうとかを歌った若手バンドマンならまだよかった。尖っていられるなら羨ましいくらいだ。僕の視界の隅にはいつも「諦め」が泳いでいた。

「どこか遠くへ行ってしまおうか。」 

 それは視野を広げようとする試みか、ただの逃避行かはどうでもいい。ふと、ここではないどこか知らない場所へ行ってしまいたいと思ったのだった。「案ずるは生むが如し」という誰かの言葉を背に僕は決めた。


 広大な砂漠の景色に僕は立ち尽くした。空と砂のコントラストは弱った視力でさえも鮮明に映す。日本海の豪音が砂風に運ばれて、広大な自然の破壊力を物語った。その唸り声は巨人の住処を連想させた。

 裸足で歩きだす。大きな砂山に近づくにつれて陽が照り返し、徐々に見事な上り坂になるといよいよ転びそうになってくる。足が踏みこむ午前の砂場は陽当たりで温かく、沈むと冷たく感じた。

 砂の坂道を登りながら見上げる青空は絵の具のチューブから出した単色をそのまま広げたみたいに混じり気のないただの青だった。

 先人達の軌跡を横目に新たな足跡を作ると、汚してしまった感覚が芽生えてくるほど全てが真っさらな表面に覆われていた。前方の旅人達はキャッキャと履き物を片手に、はしゃいで登っている。一人の女性は坂の途中でお洒落なサンダルを砂の上に置いてカメラを構え始めた。宣伝写真が簡単に作れそうなほどにいくらでも映えるのだった。

 頂上を目指しながら重い足の上げ下げを繰り返す。砂はただそこにあって、足の自由を悪意を持って阻害しているわけではないけれど、それでも僅かな距離も、息が切れるほどにもつれた。人々が立ち尽くすあの頂きの景色はさぞ感銘を受けるのだと期待を胸に登り続けた。

 そこで見たのは青をはっきりと区分けする水平線だった。山の足元は波が凄まじく、弾ける度に三角の映画会社の文字が頭に浮かんでしまう。音を増した風がひたすら耳元で唸り続けた。

 子供の頃に公園の小さな砂場で作り上げた山の頂上に大人になった僕が立っている気がした。旗を立てる代わりにスマホを横にして記念写真を撮り続ける。高いところから望む左右の沿岸の景色も美しく、日本列島の線を歪に型どっていた。

 陸に向けて無数の白い兎が飛び跳ねているようにも見えて、たどり着いた途端にあぶくと化して消えてしまった。意外と砂の頂きの景色があっけなく感じたのはハードルを上げすぎたせいだろう。期待以上の感銘は受けなかった。それよりも道中、激しい勾配から見上げる上空の青が海よりも遥かに輝いて見えた。僕にとってよっぽど美しい澄み切った青だ。

 過程が一番楽しかったりするのだろうか?

それは過ぎ去りし今だからこそ思うのであって、人間は未来がきっと良くなるものだと思っては現状に感謝も満足もしない。それではいけないが、希望だけは絶やしてはならないのだ。

 孤独な逃避行に無理矢理にでも意味を見出そうとする悪い癖が始まった。何も考えなくていいじゃないか。どれだけ自分にお土産が欲しいのだろうか。僕は人生とやらを浅ましくも悟ろうとする。安直に思えるけれど、あの時、確かにそう感じた。

 歩いて、歩いて、歩き続けた。風が同じ方角から絶え間なく吹いた。喉が渇いて水を飲もうとしたら、ペットボトルが勝手に口笛を吹きだすのが愉快だった。呼応するように足元に埋まった乾燥した貝殻が砂粒に当たってカラカラと綺麗な音を立てた。僕はといえば不定期にだらしなく鼻を啜るのだった。

夜の影帽子【エピローグ】吾輩は猫である。名前は…

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「ねぇ!僕たちって最高のコンビになると思わない?」

 黒猫が耳元で話しかける。子猫とはいえ肩に乗せたまま歩くと段々疲れてくる。

「私とクロが?」

「だから僕はクロじゃないって!!そんな安直な名前つけないでよ!」

「だってミラが付けたんじゃないの!」

「ミラ?」

 黒猫は首をかしげる。どうやら前世の記憶は綺麗に消されているらしい。そもそも本当にクロの生まれ変わりなのだろうか?だとしたら不憫で仕方がない。生まれ変わっても全く同じ姿なのだから。

「なんで私に付いてこようと思ったわけ?」

「君を見たときにビビビ!っと感じたんだよ!まさに運命だね!ダダダダーーン!」

 クロはこんなにうるさくなかった。やっぱり全く別の黒猫が急に押しかけてきたのだろうか?

「黒マントにとんがり帽子、おまけに黒猫なんか肩に乗せて…私、本格的に魔女だわ。」

「すごく似合ってるよリリィ!これでホウキさえ揃えばあのコンビに近づけるよ!」

「あのコンビ?」

「ほら!あの有名な飛行船事故で取り残された少年を救った魔女と黒猫のコンビさ!」

「知らないけど…。」

「えーー!!!」

「ところで、クロが嫌だったらあなたのことなんて呼べばいいの?」

「んー。ならジャンってどう?」

リリィは立ち止まった。黒猫は顔を覗き込む。

「リリィどうしたの?」

「それ…私の名前。」

「え?リリィの名前はリリィでしょ?」

「うん。そうだね。ちょっクロ、肩疲れたから逆側に…」

「だからクロじゃないってば!!」

「あーーごめんごめん!」

 リリィとクロは歩き出す。東の国、アルカホールまで長い長い道のりとなりそうだった。

 

夜の影帽子【35最終話】希望へ

 

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 旅の支度には時間がかかった。東の国へたどり着くにはお金がかかる。往復分の路銀と旅に必要な物資など街で買い揃えた。後は食料と…

 リリィは苦笑した。自分の金では足りないので店の金で補ったのだ。

「アリーに首にされるかも…。」

 開かれた旅行カバンには衣服が無造作に入れられている。その上に雑に置かれているのが黒魔術の本であった。この本はアリーの大切な呪いだ。いっそ燃やしてしまおうかと考えたけれど、私がそんなことしてはいけないのだ。アリーに渡して伝えよう、「死神は死んだよ」と。

 こんな変わり果てた姿の私を見て、アリーはどう思うのだろうか?太陽を克服し、自由を手にしたこの体で、こんな陰気な場所に閉じこもってはいけない。

 全ての身支度を終えて、部屋から影帽子に降りた。電気のついてない店内を見渡すと、あちこち埃がかぶっているのが気になった。作業台も散らかったままで道具があちこちに散乱していた。

「本当の首が飛ぶかも…。」

 影帽子はまたしばらくの間休業だ。せめて休業の知らせでも貼っておこう。ミラにも悪いし…。

 休業期間を考えながらぼんやりとしていた。

店が閉まったままでもこの街は変わらない。たとえ私が死んでもこの世界は何一つ変わらずに回り続けるのだ。

 影帽子に鍵をかけて、指を立てて数える。

「火の元よし、戸締りよし、忘れ物…よし。」

 リリィは旅行カバンを持ち上げた。とんがり帽子をかぶり、黒マントをなびかせた。これはアリーのマントだ。アリーに少しでも信じてもらえるように。子供のジャンになった時だって信じてくれたのだから、

「大丈夫…大丈夫。」

 祈るように目を閉じる。いよいよ緊張してきた。この街を出て、初めて外の世界を目にすることができるのだ。影から脱して、太陽が最も照らす場所へ私は行くのだ。

 リリィは空を見上げた。雲一つないもったいなほど青い空に手を伸ばす。

 

「アリー。待っててね。」

 

 そのときふと、旅行カバンが少し重くなった。手元を見ると、カバンの上に一匹の小さな黒猫が乗っかっていた。

「…え?」

黒猫はリリィを見上げながら鳴いた。

 

『ねぇ!僕も連れてってよ!』

 

 

 

 映画館の中であった。映写機がカチカチと音を鳴らしながら、光を扇型に伸ばしてスクリーンに映像を映した。

 旅人の視界が大きく写し出される。旅行カバンを持ち、肩に黒猫を乗せて、彼女は太陽の昇った方角を見据えていた。

 CHINEMA HEVENの光が観客席にいる二つの影を照らした。肩を並べた二人は同じ瞳の色をしてその風景を共に眺めていた。不敵な笑みを浮かべて…


「次の上映が楽しみですねぇ?リリィ・フランクリン。」

 

「ええ…。とっても。」 

 

その目はリンゴのようで、綺麗だった。

 

                    完

夜の影帽子【34話】新たなJOKER

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 リリィがぺぺ爺の家を訪れる四時間前。

 

 魔女は苦悩していた。新しい肉体を手にしてすぐに身体を酷使して、魔力を使いすぎてしまったことを。それらは魂を定着させて間もない期間にしてはいけない行為だった。このまま安静にしなければ魂が拒否反応を起こし、意思に反して肉体を飛び出してしまう。一度、離れれば妻の肉体の信頼を失い、魂は居場所を失くして永遠に彷徨うこととなるのだ。

「おのれぇジャン…。」

    黒魔術の本はしばらくあのままでよかろう。アリーがもし帰っていたとしたらその時わしの手で殺せばいい…。それにしても哀れな魔女じゃ。本を置いて息子のためにアルカホールへ行きおった。まさか治療法を探しておる間にその息子が死んでしまうとはのぉ…。

「これでわしこそが「死」を司る本物の神じゃ!」

「楽しそうだなぁ奥さん。」

 魔女は振り返ると同時に、反射的にステッキを声がした方へ向けた。

「何故お前が…。」

赤髪の男がドアの前にいた。

「ジョー…」

「あれ?もしかして奥さん、俺のこと知ってるんだ。初対面だってのに今呼んでくれたよね?」

  目を輝かせ男はじりじりと近寄ってきた。

「嬉しいなぁ。期待しちゃうなぁ。」

   不気味に笑う顔に思わず後退りする。

 恐れるな。奴はわしの事など知るはずがない。何かあれば少しの魔法で十分だ。

「ち、近づかないで!あなた何しに来たの?旦那なら街へ出たわよ。」

「いやねぇ、今日は奥さんに用があって来たわけよぉ。最近、夢の中で何度も呼ばれるわけさ。ジョー!ジョー!ってな。」

「だから何よ?私はあんたなんか呼んでないわ。」

「冷たいなぁ。この街じゃ俺って結構人気者なんだぜ?あんな老いぼれよりもさ、俺といる方が絶対楽しいよ〜ねぇ?奥さん。」

「いいから出て行きなさい!警察呼ぶわよ!」

その前に炎でこの悪魔を燃やしてくれようか!何故こいつは生きている!?リリィが始末したはずだ。

「でもさぁ…俺の本当の名前を呼んでくれる奴が一人もいねぇんだよなぁ。それがどうも歳とって寂しいんだよなぁ。」

 こいつは一体何しにここへ来た?わしの妻を本気で寝取りに来たただの大馬鹿者なのだろうか?

「本当の名前…?」

「ああ。ジェニファーってな。」

 魔女は体が固まった。やがてステッキを手に炎を灯してジョーに向けて放った。部屋は一気に真っ赤に照らされた。

 しかし当たったはずの炎はしぼみ、気付けば背後にジョーが立っていた。肩に手を置かれ囁やかれる。

「なぁ?またガイコツにしてあげようか?」

「…!!」

   魔女は憤怒の形相で大きくステッキを振り回したが簡単にかわされた。

「ジェニファー?ふざけるな!奴は燃やされた!」

「お?こんにちわぺぺ爺。いやペトロロス・ペンタゴン。」 

ジョーはからかっているようだった。

「ジョー貴様はリリィが殺したはずじゃ!」

「リリィって言うのか…。昔惚れた女そっくりでつい油断しちまったよ。面白かったぜ?兄弟を相当殺ってこなきゃあんなに強くならねーよなぁ。」

「灰になったのをわしもこの目で…。」

「太陽の熱に比べりゃあんなのシャワーみたいなもんよ。むしろ苦しむ演技が大変だったぜ?やっぱり俳優に向いてんのかもなぁ。はは。」

「魔法か…?それとも黒魔術なのか…?」

「んなのどうでもいいんだよ!悪魔のジェニファーは不死身なのさ。なんせ太陽に勝った男だからな!ひゃはははは!!」

 証拠はない。だが嘘ではないことが奴の気迫で感じずにはいられなかった。黒魔術なしで何百年も生きながらえていたのか?今までどうして気がつかなかった?こいつはこの街で道化のフリをして紛れていたのだ。

 魔女は恐怖した。永遠の命と引き換えに再びガイコツに戻されることを…。あまりにもつらい孤独。あれは死と変わらないのだ。もう二度と戻るわけにはいかないのだ。

「けどあの女…絶対に許さねぇ。俺がこの手で犯して殺してやる。トランプする相手がいなくなっちまったじゃねぇか!!」

 彼の目の色が変わった。その悪魔は瞳孔も白目も全てが黒であった。最初の悪魔一族の目は赤ではない。黒だ。初めて出会った時と容姿は異なっているものの、まったく同じ目をしている。間違いなくこの男こそ、悪魔ジェニファーだ。こいつに逆らってはいけない。マーリンの話しなど全て嘘で語られたものだ。

「ジェニファー…様。お許し下さい。まさかあなた様だとは知らずに…。」

「まぁ怯えんなよ。街のために悪魔退治とは素晴らしい心がけじゃないか?ちょっと聞きたいことがあってよ。」

「はい…。なんなりと。」

魔女は骨の髄まで震えていた。

「俺の魔法の杖どこ?」

 この悪魔の手に再び魔法の杖など…握らせてはいけない。街が、いや国が終末を迎えてしまう。

「存じ上げません…。わしのような者に魔法の杖など。恐らくはマーリンの後継者にあたる者が保管しているかと…」

「本当か?」

「わしはあくまで黒魔術を専門にしておりましたので…。」

「ふーんそう。ならリリィって女はどこだ?」

 殺したなどと言えばわしが殺される。

「女は…申し訳ありません。姿をくらましました。」

「んだよ、まいっか。邪魔したな。」

  ジェニファーはぷいっと背を向け部屋を出ていこうとした。魔女はふと思った。

 これはわしの因縁ではあるまいか?今、目の前にいる悪魔ジェニファーを殺して、今度こそわしがこの街の伝説になるのだ。歴史を塗り替え、わしが英雄として、死神として、新たな肉体とともに…。

 

「わしがこの物語を終わりにするのだ…!!」

 魔女は全身全霊の力を振り絞り、指先に呪いを込めた。背中に向けて放とうと構えたとき、

「ああ。それと…」

ジェニファーは振り返り、牙を見せて笑った。

「エサの時間だったな♡」

  魔女が背後を確認する間もなく、ろうそくの火で揺れていた魔女の影の中から何匹もの黒い怪物が現れ、魔女の体に嬲るようにまとわりついた。黒い角が生え、黒い尾を揺らして、鋭い牙を体の至る箇所に刺した。表情も読めない、得体の知れない、ただただ黒い異形の者が女に群がり、血を吸い尽くした。魔女は声さえも出せなかった。ジェニファーの手にはトランプカードがあった。

「JOKERは二枚もいらねぇんだよ。」

躍り狂うピエロが不気味に笑っていた。

 

 

 

 

夜の影帽子【33話】父親の記憶

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 影帽子は未だにcloseが裏返されることなく、ミラが学校の行き帰りに店の様子を伺いに来ているのをいつも二階の窓から眺めていた。ここ一週間で店にやってくるのはミラと新聞配達くらいだった。

 新聞に大きく掲載されていたのは私の顔だった。

「マーメイドカンパニー社長娘、ジュリアナ観光中、行方知らず!!」

 街へ買い物に出るときはとんがり帽子を顔が見えなくなるほど深く被り、念の為に魔法で顔を変えたが、本調子ではないようであまり長くはもたなかった。よくこの状態で魔女にリベンジしようと思ったものだ。

 リリィが東国で有名な会社の娘であることは記憶の画像で知っていたし、父親の顔も分かる。彼はきっと血眼で捜索しているはずだ。

 娘の溺愛ぶりが異常であった。父親は異常なほど彼女の側に付いていて、娘と二人きりのときは体を触ったり、顔を近づけては愛の言葉を囁いていた。実の娘に対して過度な愛情が伺える。しかし、それだけならまだよかった。それだけであれば彼女はあんな風にはならなかったのかもしれない。

 猟奇的な彼女の残虐性に拍車をかけたのが、父親の教育によるものだと思った。追憶で見た画像の中にムチを持った父親の姿があった。これがこの家系で代々続く、教育という名の虐待だった。涙で滲む視界の向こうに馬乗りでムチを掲げる父親の姿が何度も確認できた。「おしおきだ」と言って微笑んだ。ぞっとしたのは虐待の直後に涙を流して娘を優しく抱きしめてきたことだ。意味がわからなかった。

 異様な愛情を注ぐ反面、しつけに対しても度が過ぎていた。支配者による極端な飴と鞭は洗脳を生み、彼女の自我を殺した。彼女は怒りやストレスを逃すように悪魔達にナイフを向けたのだろう。そしてさらにいえば、その行為がまた、家族から称賛を浴びさせるというまさに狂気の連鎖。

 流れてきた記憶はまだほんの一部だ。これから先、彼女の歴史を嫌でも深く知ることになる。私は怖かった。いつか、ジャン・フランクリンとして生きてきたことを忘れ先代のリリィ・マシュリーとして人生が塗り替えられてしまうのではないかと…。


『私の呪いはあなたの中で永遠に生き続ける』


 あの声は確かにリリィだった。言葉が呪いを受けたように頭の中から離れない。独りでいては闇に飲み込まれる気がした。

「アリーに会いにいこう。」

 窓の外を眺めながら、思い立った。アリーに会いに私は東の国、アルカホールへ行くと決めた。この体の生まれた場所へ。

 

 

夜の影帽子【32話】私はどっち?

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 猫人間達の拍手喝采で目が覚めた。会場は黄色い声援で満たされて、花束が投げられた。観客席全員がスタンディングオベーションで、群衆が同じ笑みを浮かべて拍手しながらリリイ目掛けて走ってきた。おぞましい悪夢だった。

「お前達に二度と会いたくなかったのに…」

 ベッドの上で一人文句をたれた。今朝は起きても涙が止まらなかった。断じて感動のフィナーレの涙などではない。しかしまだ夢の中の方が楽だったのかもしれない。そう思ったのは、起きてからすぐにこれまでの現実が思い起こされて、朝の弱ったリリィの心をズタズタにした。悲しくて切なくて仕方がなかった。一夜にしてたった一人の親友とジャン・フランクリンの体を失ったのだ。とても信じられなかった。

 まる二日間眠りっぱなしだったようだ。疲れも痛みも癒えたけれど、頭痛がひどく、起きても横になるしかできなかった。細くて、冷たくて、敏感な身体をシーツの中で自身を抱きしめる。母親のお腹の中で眠る胎児のようにうずくまった。

 シャワーを浴びて、裸のまま部屋の鏡の前に立つ。青い瞳の彼女がいる。濡れた手で顔から体のラインに沿うようにゆっくりなぞった。首元はジャンの噛み跡がほんの少しだけ残っている。真っ白な胸は柔らかくてほんの少し動いただけでぷるんと揺れた。お腹に軽く火傷の跡が残っている。これはじきに消えるだろう。くびれが綺麗な曲線を描き臀部へと滑らかに繋がっている。脚は透き通るほど白く細くてまるで店のマネキンになった気分だった。

「本当にリリィになってしまったのか。」

 これが自分の姿とは信じられないし、とてもあの残虐な悪魔狩りとも思えない。例えばモデルの仕事だけでも食べていけるのではないだろか?

 しかしどんなに美しくても、二十年もの間苦楽を共にした身体ではないのだ。本来の肉体は目の前で燃えてしまった。それに絶望をしたのは一度トイレで目覚めた時だ。あのグロテスクな記憶も思い出し、何度も吐いた。喉も胃液も枯れ果てた後に流した涙でさえも足りなかった。まるで別の生き物に生まれ変わってしまったのだ。

「これからどうするの?」

鏡の中の彼女が聞いてきた。

「探すよ…。街中を。」

「もう遅いんじゃないかしら?」

「それでもやらなくちゃ…。」

 アリーの服を借りて家を出る。仕方なく下着もアリーのものを身につけた。サイズが合わなくて落ち着かない。ブラジャーを付けるのに手間取った。まさか外すより先に着けることになるとは思わなかった。

 あいも変わらず街は平和そのもので、私の出来事を風化させるかのように賑わっている。リリィは人目を避けるように歩きながら思い返した。

 

 CHINEMA HEAVENでジョーと再開した場面でジャンは彼を説得できないまま幽体離脱してしまい影帽子の天井からしばらく二人の様子を眺める羽目になった。あの時、店に現れたのは

ぺぺ爺だった。

 ぺぺ爺はアリーの魔法を買いに来たようだが、テーブルに置かれた本を見るなり、急に顔色が変わりジョーに食い入るように尋ねていた。

「そ、その本は誰のじゃ…!?」

「この汚い本か?そりゃジャンのだよ。どうしたぺぺ爺?」

 ぺぺ爺の顔に喜色が指したように見えた。鼻息が荒れ、髭の下で口元が動いた気がした。皺皺の拳をぐっと握り、何かを堪えきったように二人に背中を見せた。

「アリーもおらんし、今日は帰るとするかのぉ…。」

「いいのかよ。明日からアリーはいないんだぜ?こいつは今使えねーし、起こしに行ってやろうか?」

「わざわざ起こすほどではないわい。好都合じゃ…。しばらくは若手の世話になるとするかのぉ…ふぉふぉふぉ。」

 ぺぺ爺は扉を閉めて出ていった。ジョーは訝しげにドアの方を見た。

「変なじいさんだなぁ…。」

 ジョーは大きく欠伸をして、トランプを散らかしたまま、座って眠りについた。

 

 ぺぺ爺はずっと私たちを悪魔だと分かって、嘘をついていた。ぺぺ爺は一人目の魔法使いであり、死神のJOKERであったわけだ。海で戦ったあの時、魔女の中身がぺぺ爺かを知るのが怖かった。ぺぺ爺は初めてジャンの魔法を認めてくれた最初のお客さんだった。

 行き先は決まっている。ぺぺ爺の住む家だ。黒魔術の本を肌身離さず持ち歩いて向かう。

 私を海へ落とした後、魔女はあのまま影帽子へ向かったと思ったが、店や部屋が荒らされている様子はなく、本はいつもの場所に隠してあった。おそらく相当弱っているのだ。そして私が溺れて死んだと思っている。今こそが奴を殺す絶好のチャンスだ。

「大丈夫…大丈夫…私ならやれる。」

 何度も何度もそう言い聞かせ、胸に手を置いて歩く。あの日酔っていたとは言え、本が見つかったのは私のせいだ。そしてジョーが死んだのも…。黒魔術で犠牲になった何千人もの鎮魂のためにも責任を持って今度こそ私が奴を殺す。

 本を握りしめてぺぺ爺の住む家に向かった。

 

 そこは街の外れにある小さな古屋であった。人気がない殺風景な荒地にポツンと立っている。鼓動がみるみる激しくなっていく。再び戦うことになるかもしれない。

 扉の前に立ち、その家の禍々しい雰囲気を感じ取った。少し躊躇したが、ドアノブに触れて回すと軋んだ音を立てて開いた。

「鍵が開いてる…。」

 警戒しながらゆっくり押した。罠を仕掛けているかもしれないから神経を研ぎ澄まし静かに潜入する。

 暗くて陰湿な家の中は人の気配がまるでなかった。ぺぺ爺は奥さんと二人暮らしだ。私は知らないが、ジョーいわく歳の離れた絶世の美女だそうだ。魔女がいたとすればぺぺ爺が【人間失格】で憑依した妻であり、彼がペトロロス・ペンタゴンだと確定する。

 リリィは家の中を進んだ。外光を閉ざした一軒家の中心は夜のように真っ黒で怪しかった。恐れながら進むと、ほんの少しドアが開かれ光が漏れている部屋を見つけた。ろうそくの灯火だ。誰かがいる可能性が高い。リリィは抜足で静かに近づき、隙間から覗いた。

 そこにいたのは確かにあの魔女だった。ただ…白い顔をして仰向けの状態で倒れていた。

 ドアを開け放した。魔女は死んでいた。半目で口を開けていた。なんとも不気味な死顔に気分が悪くなる。臭いはしない。死んでからあまり経過していないのではないか?ろうそくの灯りが下に置かれた死体をゆらゆらと照らしている。身体は青白く、まるで全身の血を抜かれたようにみえた。

 魔女の死体の傍に一枚のトランプカードが落ちている。ガイコツが大鎌を携えた「死神」のJOKERであった。

 魔女は…殺されたのだろうか?だとしたら犯人は魔女の正体を知っている人物なのではないか?そんな人物が果たしているのだろうか?

 リリィは身の危険を感じて早々に家を出た。部屋の薄暗さとうってかわって西日が眩しかった。

 

 湧き上がってきたのは安堵であった。親友の仇であり、殺す使命を課せられ戦った相手が、誰かの手によって殺された。衝撃の光景だった。しかし手を血で染めることなく、ペトロロスは死んだ。何者かがあまりに長く罪深いその生涯に終止符を打ってくれたのだ。こんなにありがたいことはないではないか!暗殺者も依頼主も死んだのだ。これでようやく私は平和に暮らせるのだ!

 リリィは言い聞かせた。ふに落ちない感情を無視し続ける。石畳の上をコツコツと鳴らして足早に歩き続けた。そして呟く。

「誰が…」 

 リリィは奥歯を噛み締めた。突如として怒りが沸き上がり、それはとうとう押されきれなくなった。思わず傍の壁を思い切り殴った。壁の砕ける鈍い音が骨に響いた。

「誰が私の獲物を殺しやがった畜生!!!!」

 壁は陥没し、穴ができた。殴った拳は血で染まり皮がめくれていた。その血の色を見て、リリィは我に帰った。息を切らして。そっともう片方の手で赤い拳を優しく包み、しばらく立ち尽くした。

「……今の…どっち?」

  ジャンだ。自我の意思で怒りに身を任せただけだ。完全憑依した状態でリリィが意識に介入するわけがないのだ。あの時、確かに彼女の魂はジャンの肉体に入っていた。

 不気味な程に綺麗な夕焼けは空を燃やしたようで、道で引きづられたリリィの影を長く伸ばしてた。影を振り切ることができないリリィは影帽子へ走った。走りながら再び涙が込み上げてきた。これは沈んだ太陽の匂いなのだろうか?声を上げたいほどの赤い寂しさが顔を覆ったようだった。

 

「アリー。早く帰ってきてよぉ…。」

 

 

 

夜の影帽子【31話】生きる

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 海面の光がどんどん遠ざかっていく。リリィは水中で仰臥しその身体はみるみる下へ沈んでいった。息ができない。海水の温度が彼女の体温をみるみる下げていった。

 自由はきかないものの普通の状態ならまだ這い上がれたかもしれない。苦痛が体中を駆け巡り、重りがついたような疲労困憊だった。肉体に憑依してすぐの急激な運動に、魂が拒絶反応を起こしている。これが奴の言う「地獄」のことだろう…。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか?私が一体何をしたというのか…。親友を探してただけなのに…。女を助けたら騙されてて、親友を殺されてて、自分も殺されそうになって、気づいたらその女になって死神と戦って…挙げ句の果てにまた死にそうになってる。

 普通に暮らしてただけなのに…。どうしてこんなつらい思いをしなきゃいけないんだろうか?

 視界も思考もぼんやりしていた。どんどん意識が遠ざかっていく…。せっかく生き返ったのに、チャンスを逃してしまった。悔しくてたまらない。けれどもうどうしようもできない。水の中はこんなに重くて、苦しくて、暗い孤独だ。今度こそ本当に、本当に…「死」

 

『ようこそCHINEMA HEAVENへ!』

 

パッと目を見開き、泡を吐いた。意識がはっきりし、海中で足掻いた。

(あの野郎、嬉しそうにしやがって…)

 駄目だ。死んでたまるか!生きろ!生きるんだ!死んだ分まで生きるんだ!!

(息がまた…。)

リリィは一か八か自分の体に魔法を念じた。

 手の指の間にヒダのようなものが生やし、水かきのような手になった。そして足を重ね合わせて尾びれに変形させた。

(使える!この体でも魔法が使える…!)

魚のように優雅に泳ぎだした。上へ。上へ。 (息がもう…!急げ…!)

 

 海面でバシャっと浮上した。外の世界は明るかった。

 桟橋に停車した小さなイカダにしがみつきようやく海から這い上がった。イカダの上でびちょびちょに濡れた体を仰向けに、何度も何度も呼吸をした。イカダに体がべったり張り付いたようだった。

 快晴の空に浮かぶ真っ白な太陽。今までただの凶器でしかなったけれどこんなにも眩しくて温かい。

「やった生きてる…。生きてるよ…。」

 ほんの少し眠ってしまっていた。人々が埠頭に群がってきた。怪訝そうに目を向ける女達、興味津々で見続ける男達。こんなずぶ濡れの美女が朝のイカダの上で眠っていたのだから白い目で見られて当然だ。濡れたせいで服の上から乳房が浮き出ているのが分かる。これはまずい。リリィは胸の辺りを隠した。すると聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ちょっとぉぉあんた!!朝っぱらからそんなとこで誘ってんじゃないわよぉ!!とっととうちのイカダから降りなさいよぉ!」

 ボッダだった。しかし昨日の夜とはまるで印象が違い、胸つきズボンを着て、顔に化粧もなく、正真正銘の海の男の姿であった。彼は漁師だったのか。

「す、すいません。今出て行きます。」

 リリィは体を起こす。その瞬間、電撃のように猛烈な痛みが走った。

「いっ…!」

ボッダは首を傾げてこちらの様子を伺うと、近づいてきて手を差し伸べた。

「もしかして立てないのぉ?ほら捕まって!」

ボッダの手に捕まり、そのまま身を委ねた。

「ったく!こっちは仕事で疲れてるってのに…飲み過ぎよあんた!家はどこ?」

「三番街の影帽子…です。」

「あら。もしかしてあんたがアリー?」

「送ってくれると助かります。ボッダさん。」

「あらまぁ!それはそれは。てっきり人魚かと思いましたわ。ジョーさんからお話しはしょっちゅう!まさかこんなに若くてお美しいとは…(チッ…!」

 ボッダの舌打ちを気に留めずに彼の肩を借りてそのまま影帽子に向かった。