今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

夜の影帽子【30話】決闘

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 青い海の前で赤い女が身の丈ほどある黒い鎌を悠々と振りかざす異様な光景に魔女は笑いが込み上げてきた。

「わしの鎌でわしの名を語りおって…」

魔女は顔面を裂くように口角を上げた。

「そのおなごに恋をしたのだな!わしと同じように【人間失格】を唱え憑依したと!なんとも愉快じゃ!」

「そう言うお前は今の奥さんだよね?それって同意だったの?」

「やはりわしの正体を知ってるな。無論じゃ。彼女はわしの中で永遠に生き続ける。これこそが本物の『愛』ではないか。」

「そんなのは『愛』じゃない。三〇〇年も生きてそんなことも分からないの…?」

「調子にのるな小僧。慣れないその体で何ができる。…地獄が待っておるぞ?」

「それならもう見てきた。お前には『死』が待ってる。覚悟しろ。」

「かっこつけよって、本なくとも貴様を殺すなど魔法でたやすいわ…。」

 ステッキに再び火の玉が作り出されたその瞬間、リリィは魔女めがけて全速力で走る。体は翼が生えたように軽かったが裸足は走りにくいし、付着した胸がまどろこっしい。

 両手で鎌を横に振りかざして振った。斬りかかるというよりは殴るように全力で叩いた。

 嶺の曲線が魔女の肘に強打した。その瞬間に炎が飛び散り、リリィの体に至近距離で爆発した。身を挺して距離を取る。少し火傷を負ったけれど魔女も鎌を防いだ腕の骨を粉砕していた。だらんと垂れる左腕に苦い顔をする魔女、再びステッキをこちらに向けた。炎は灯さず次に何をしようとしているか分からない。ステッキの指す直線上を避けるように蛇行し再び魔女に近づこうと乱れながら走った。

 急に体がビタッと止まり動かなくなった。後ろを見ると海水から円柱のように浮上した水流がまるで蛇のようにうねりながらリリィの体に巻きついていた。

「くっ…!」

 リリィは黒魔術を唱え始めた。魔女はステッキを動かして、巻きついた水を口の中にも枝分かれさせようとしていた。黒魔術は術式が長い上に、何度も噛みそうになった。それでも早口で唱え続ける。

(間に合え…!)

 水が口を塞いだと同時に術式を唱え終えた。


「黒魔術第二十一章【人間椅子】」


  リリィの姿が途端に消えた。水蛇はただの海水に戻り地面にバシャンと落ちる。魔女には当然この魔術が分かる。リリィは透明になったのではなく、実体そのものをなくす黒魔術だった。

 魔女は再びステッキの先に火の玉を作り、注意を払いながら海沿いへ近づいた。死角を作らないために海を背にして辺りを見渡す。静かな港の風景に異質な緊張感が漂う。

 魔女は不思議で仕方なかった。何故本も見ずに術式が分かる?奴はまさか、本に記録された黒魔術三十章全ての術式を暗記しているというのか?作ったわしでさえ【人間解凍】の術式しか記憶していない。最弱魔法しか使えなかった未熟な魔法使い風情が…

「そんなことがあってたまるか!」

 【人間椅子】は物理攻撃が当てられないが、それは術者も同じ。向こうも攻撃をするには近づいて魔術を解き、姿を見せなければならない。奴はあのまま影帽子まで逃げる可能性もある。じきに魔術も解ける頃合いだ。見つけ次第火あぶりにしてくれよう。

 そのとき突然、魔女の視界が火の塊で覆われた。突然降り注いだ燃え盛る黒い物体が、翼を暴れさせて、鋭い爪で魔女にまとわりついた。焦げた死肉の臭いが漂う。魔女はパニックになり片腕でステッキをぶんぶり振り回した。

「さっき殺したカラスではないか!何故死んでない!失せろ!!」

   火の中から拳を構えたリリィが現れた。

「解凍してんだよ。」

 全身全霊の力を込めた一発、容赦なく魔女の顔面に喰らわせた。魔女は吹き飛ばされ後頭部から地面に叩きつけられる。

 先代のリリィの圧倒するほどの筋肉。しかし人を殴る感触は初めてで戸惑った。不快きわまりない上に、拳に痛みが走る。

  震えながら半身を立たせた魔女は、血で染まった口元から弱々しく息を吐き、怯えた表情でこちらを見上げた。老婆のように老け込んで見えた。

「や、やめて。殺さないでくれ。」

 近づくと、尻餅をつきながら片腕で後退りし始めた。

「もう十分生きたでしょ?」

 リリィは再び鎌を出現させ、魔女の首元で止めた。後頭部に内向きな刃を少し引けば首が飛ぶような位置にかざした。

「さよなら死神さん。」

「取り引きじゃ!ジョーを生き返らせてやる!」

「嘘だ。」

「嘘ではない!【人間解凍】を永遠にかけ続けるやり方をワシは知っておる…!」

「ジョーは燃やされて死んだ。肉体はない。」

「べ、別の容れ物を用意すればよい!死体を…ワシの前に…ひぃッ!」

「それじゃあんたと一緒じゃないか?「死」はせっかちなんだ…。喰いしばれッ!」

 鎌を引こうとしたその瞬間、真横から衝撃波のような突風がリリィの体を遠くまで突き飛ばした。リリィは海面に落とされた。

「っ!!」

「ふ、ふはははは!風の魔法も見えまい。」

  魔女はよろよろ立ち上がり、海に落ちた彼女を見下した。

「くそぉ…」

  器用な魔女だ。時間を稼ぎやがった。話しながら風の魔法を一点に集めていたのだ。

 あの一瞬、躊躇してしまった。暴力とは縁のなかった私が、こうして戦って人間の首を切るなど、憎むべき仇とは言え、怖気付いてしまったのだ。人間を殺すという感覚…。鎌を引こうとした刹那、血生臭い地下室の臭いを感じて、吐き気がした。あれと同じような残虐な行為をしようとしているのがひどく恐ろしくなった。

「何を今さら。次こそやってやる…!」

 不敵に微笑む魔女は折れたステッキをこちらに向けた。

 再び水の蛇が海面から顔を出してリリィの息継ぎを阻害してくる。水の蛇は何匹も顔の周りをうねっている。魔女の魔力が尽きたのか弱い水圧であるものの、リリィを溺れさせるには十分であった。

 魔女はステッキにまたがった。そして宙を舞い、みるみる上昇して街の方角に体を向けた。

「空飛ぶホウキだったのか!しまっ…」

 海面で必死に足掻いた。海の中は初めてだ。こんなにも冷たいのか。泳ぐのもままならないほどに全身に筋肉痛が走り、潮水が火傷に滲みてきた。足掻けば足掻くほどに体が重くひきづられていくようだった。

「逃さない!」

 次こそ殺す!地獄に行ったとしても!水面から手を伸ばした。魔女はすでにふわふわと街の方角へ飛んでいった。まずい。

「待て…待てよぉぉ!!」

 待つわけがないのだ。あと一歩のところで逃げられた。躊躇しなければ首をはねれたかもしなかった。空にいる魔女がどんどん小さくなってゆく。…溺れる。

 

「くそぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

夜の影帽子【29話】現れた魔女

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 ミラが去った後、リリィはしばらく海を眺めていた。手元のビンを拾い上げてコルクを外した。ビンの中に敷き詰められた灰を逃すようにゆっくりと下に傾けるとそれは少しずつ、少しずつ風に吹かれて消えて行った。

『生まれ変わっても悪魔になりてぇな。』

ジョーはそう言っていた。

「生まれ変わってまた会おうね。」

 そう呟くと、灰は風に運ばれて海に消えていった。

 待つという行為はあまり好きではないが、今はここで古い客を待ち続けなければならないのだ。奴は必ずここに現れる。そう確信していた。

「おったおった。まるで絵画のようじゃな。」

  後ろから声がした。振り返ると、女が立っていた。

 その出立はまさに妖艶な魔女そのものだった。肩まで伸びた黒髪に、整った目鼻立ち、せっかくの美女を怪しく見せるのは黒いカーテンのような衣服に、手には長いステッキと、肩にはカラスを置いているからだ。絵に描いたような魔女の姿がそこにあった。

 カラスに見覚えがあった。ジョーの伝言もミラに届け物も頼んだりしたことのある、影帽子専属の召使いガラス。

 リリィは鋭い眼光で睨み付けて、テレパシーを囁くように送った。

『裏切り者。』

 カラスは慌てて羽を広げた。魔女は急に肩から飛び立たれて驚いていた。

「おお?どうしたのかのぉ。やはりカラスはもう駄目じゃの。ろくに言うことを聞かんわい。」

  魔女はステッキをカラスに向けた。一言呪文のように悪態を放つ。

「しね。」

  ステッキの先に炎が球体のように渦巻いた。火の玉が一直線に投げられたかと思うと上空のカラスに直撃した。黒い衣は一瞬で燃やされ炎を引きずりながら落下した。

「おお。久しぶりじゃが悪くはないのぉ。」 

 リリィはその瞬間を目に焼き付けた。この時世に一瞬で火種を作り出し膨らませ、それをあんなにも早く、遠くまで飛ばすことなどできる魔力が信じられなかった。古代の魔法をまともに使いこなせる人間を初めて見たのだった。

「さて…仕事の話しをしよう。まずはその美しい瞳の青を、わしの近くでよーく見せてくれぬか?」

  魔女はリリィに顔を近づけた。顎を滑らかな手つきでなぞるように触れ、彫刻で作られたようなシンメトリーな女の顔が目の前にヌッと現れた。

「はて…泣いていたのか?」

 気持ち悪い所作に恐怖を覚えた。震えそうな体を堪え魔女から静かに体を突き放し、距離を取った。

「そう恥ずかしがらんでも、ワシはもう女だから構わないだろう?…ふはは。可愛い女子じゃ。」

「ターゲットは殺したわ…。ジャンと…それからジョーも。」

「よくやってくれた。これで邪魔者は消えた。これから影帽子に本を取りに行くのじゃが…お主も一緒にくるか?」

「別に殺さなくても本は奪えたんじゃなくて?」

「何を言っておる?お主がジャンを殺したがっておったのだろう?まぁどちらにしても逃がしておけん。肉体を入れ替えておったからお主に任せたわけじゃが…ようやくこの体に慣れてきたわい。…やはり女の体は落ち着かんのぉ。」

 魔女は首や肩を回して気怠そうな顔をした。リリィを見つめて笑った。

「これでまた…街が綺麗になったの。」

 リリィは目を瞑った。すっと息を吸って吐いた。落ち着け。怒りだけに身を任せるな。失敗を呼ぶ。

「戦え」

 黒魔術の長い呪文を唱え始める。リリィがぶつぶつ言い始め、魔女は目の前の声に耳を傾け、呆然とした。

「リリィお主…魔法など。しかもそれはわしの作った呪文ではあるまいか?」

 

「黒魔術第二十四章【人間収穫】」

 唱え終わると同時に、右手に身の丈ほどの巨大な鎌が現れた。黒光りする嶺は三日月のような曲線を描き、刃先が純銀のように太陽の光りを反射した。

「わしの大鎌…何故本がないのに出せる?」

 目を閉じたままリリィは試すように鎌を振り回し、華麗に操った。魔女は眉をしかめた。

「貴様、一体誰じゃ?」

「私は…」

その目は開かれた。紅に染まっていた。

「私はジャン。ジャン・フランクリン。」

金色の髪がなびいて、二つの赤い太陽が標的を直射する。

「お前の死神だ。」

 

 

夜の影帽子【28話】死神

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 女は窓から街の方を眺めた。密集した建物から孤立した女の家は、開けた荒地に街を少し上から見下すように建っていた。

 あの街が嫌いだ。魔法使いマーリンが作ったジュリアナは元々はわしの故郷の静かな村だった。わしが離れた数十年の間にこんな汚れた土地になってしまった。森が消え、動物もいなくなった。海が淀み、旅行船や貨物船が行き交うようになった。街の中心はゴミを覆い隠すように建物が入り組み、悪臭を漂せた。貧富の差を明確に区分した構造は人々の心まで黒い蒸気で染めていくようだ。年々人が増えて、とうとう悪魔まで巣食うようになってしまった。

 だからといってわしが追憶に黄昏るほど、過去の思い出は美しいものではない。自然豊かな田舎だろうと、喧騒の激しい都会だろうと、人間がそこにいれば差別が生まれるのだ。


「ガマガエルのペトロロス」と呼ばれ、村で毎日いじめられた。

 昔から笑い者だった。どんなに努力してもカエルに変える魔法しか使えなかった。学校という小さな競争社会でもそれは続いた。「井の中のペトロロス」「才能がないから退学しろ」「イボが感染る」と毎日のように言われ続けた。それでも魔法使いになりたかった。歳を取り続けながら、毎日鍛錬に励んだ。若い才能に追い抜かれていく屈辱を何百と経験した。それでもずっと一人で魔法を作り続けた。

 そんなある日、村で悪魔退治の依頼が舞い込んできた。時間はかかってしまったが、今こそ村人を見返す絶好の機会だと思った。

 そいつは森の中で魔法の杖に夢中だった。全身は黒く、角と尾が生えている小さな小人のような悪魔だった。

 奴を脅した。すると奴は笑い転げて言った。

「俺と全く同じ目をした魔法使いが現れた」と。

「なぁ?そんなヨボヨボじゃ村人に復讐できないだろう?永遠の命が欲しくないか?」

「悪魔の取引などには応じぬ!わしは村の英雄になるのじゃ!」

「ならなんで他の魔法使いにも依頼してんだ?なんであんたを一番最初に俺の元に寄越した?」

悪魔は悪魔らしい笑みで微笑んだ。

「あんたさ…囮なんじゃね?」

「黙れ!今すぐ貴様を醜いガマガエルに変えてくれるぞ!!」

「残念だよ。まぁ命までは残しておいてやるよ。」

 わしは一瞬でガイコツの姿に変えられた。魂の宿った生きているガイコツだ。わしがこの姿に変えられたとき、木の影から見習いの若い魔法使いが黙って覗いているのが見えた。後の英雄となるマーリンであった。

 ガイコツのわしは逃れるように村を離れた。他の村々を転々としては肉体を取り戻すために魔法の実験を繰り返した。次から次へと病人の元を駆け巡り、魂を操れる魔法を研究した。いつしか、わしは各地で「死神」と恐れられるようになった。

 月日は流れ、ようやく新しい肉体を手にし、わしは村に帰ってきた。しかし故郷は跡形もなく、ジュリアナという街が出来ていた。街にはマーリンの伝説が生まれていた。その伝説にはなんとわしの事も書かれていた。欲深い哀れな老人魔法使いとして登場していたのだ。マーリンはあの時わしを助けずに、英雄になるための踏み台にした。わしは悪魔と最後まで戦ったというのに、この街どころか国中で一生笑い者にされることになったのだ。これ以上の屈辱はなかった。

 マーリンを殺した。わしを虐げた村の者たちを探し出しては殺した。すでに寿命が尽きている者は魂を強制的に呼び戻して沼のガマカエルに転移させた。

 わしは肉体が老いるとともに魔法が使えなくなった。それはわしにとって「死」よりもはるかに恐ろしいことであった。寿命が尽きる前に魔女や魔法使いと結婚しては肉体に憑依し魂の入れ替えを繰り返した。

 本当は永遠の命などいらなかった。褒められたかった。愛されたかった。それだけだった。わしが三百年も嫌いなはずのこの土地を離れられないのはある種の呪いなのだ。わしはここにいると、ただ誰かに認めて欲しかっただけなのかもしれない。

 

 女は窓を開け放した。すると一羽のカラスが窓の淵に降りてきたら、女に向けて鳴いた。

「くくく。そうか港か…。リリィも性悪じゃのぅ。」

 女は出かける準備を始めた。黒い衣服を纏い、長いステッキを手にした。

 妻に憑依してからニ週間が経とうとしている。ようやく身体が馴染み、魔法も使えるようになった。魔女の素質のある妻はわしの魂を受け入れてくれた。最高の細君であるまいか。わしの中でゆっくり眠るのだ。お前の身体を傷つけはしまい。この若々しい肉体と美貌を手に入れ、これからわしの書いた黒魔術のレシピを取り返す。そして最後にマーリンを殺した時に盗み損ねた魔法の杖が揃えば、わしはこの王国で一番の魔法使いになれる。


「さぁ、カラスよ。貴様のご主人様の亡骸を見にゆこうではないか?」

 

 

夜の影帽子【27話】海を見つめて

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 港を離れた蒸気船が汽笛を鳴らした。カモメを上空を舞い、無数の銀の光が海面で飛び跳ねた。埠頭では野良猫が漁師達を待ち始め、その下でフナムシがそわそわと蠢きだした。

 長い長い夜明けを終えた。今までのことが嘘のように静かに海がキラキラ輝いている。生まれて初めて見る澄明な海の景色に嫌悪感を抱きそうだった。真っ白な素肌を陽光が照りつける。病気を克服した喜びなど微塵も感じることは出来なかった。彼女はしゃがみこみ、海に向かってただただ泣いた。すると背中に柔らかく何かが触れた。

「どうしたの?…お腹痛いの?」

 聞き覚えのあるその声に顔を上げた。よく知る少女が横で背中に優しく手を置いて立っていた。

 憂色な顔が近づくとリリィは思わずたじろいでしまい、何も言えずに次に少女が何かを言うのを待った。

「ねぇ…大丈夫?」

 きっとひどい顔をしていると思い、涙を拭い、浅く息を吸って吐いた。少女は目の前にハンカチを差し出した。

「これで拭いて。」

 ハンカチには黒猫がいた。私の作ったものだ。

 クロ。どうかこの子を守ってあげてね。

 しばらく見つめて少女にそっと返した。

「あ、ありがとう。…でも大丈夫。た、大切な物なんじゃない?」

 緊張して、うまく舌が回らなかった。

「うん。だけど…。おねえちゃんはどうしてここで泣いてるの?」

 ミラ…。どうすればいい?君のことをよく知っている。けれど君は私のことを知らない。それでいいんだよね?このままで…いいんだよね。

「な、何でもない。大切なものを失くしてお別れを言えなかった。」

ミラは物悲しい顔になった。

「そうだ!」

  すると何か思い出したようにハンカチで顔を覆い、鼻で深く吸いだした。あの魔法は消えていないようだった。クロの匂いを一心に嗅いで、のっぺらぼうは顔を出した。悲しげだった顔が布一枚で変化するマジックのように元気な笑顔を見せた

「あのね!この街で何か困ったことがあったらね、三番街の外れに「影帽子」ってお店があるの。きっとジャンが助けてくれるよ!」

 意外だった。その言葉に喜べないのが悲しかった。明かせないのが悲しかった。

 ミラと最後に会った夜。喧嘩別れだった。もう怒ってないのだろうか?許してくれてるのだろうか?…目の前にいるのに気持ちを伝えられない歯痒さを感じた。あのときはごめんと伝えたかった。気持ちとは裏腹に私は最後まで素直になれなかった。

「あの店には二度と行っちゃ駄目。あれの正体は…悪魔だから。」

 ミラはこちらを見て目を丸くしたが、海に向き直って微笑んだ。風が二人の髪を揺らした。

「うん…知ってる。」

「え?」

「初めて会ったとき目が赤くなってた。最初は怖かったけどとても大切な宝物を作ってくれたの。だからお店に行ったんだけど…ジャン、よだれ垂らしてイスで寝てて、なんか全然怖くなくなっちゃった。」

 滅多によだれを垂らすことなどないのにそんなときに限って見られてしまう。しかも営業中にうたた寝とは…。無防備というか、隙だらけというか、ミラが生意気だったのはそんな醜態を晒してしまったからだろう。赤い目にしたって逆によく十年もお客に隠し通せたものだ。こんな悪魔は初めてだと言われたのにも納得する。

「おねぇちゃんの大切なものってなんだったの?」

 ミラは真剣な顔で聞いてくる。リリィは少し考えて伝える。

「…大切な友達だよ。突然いなくなってしまって、さよならも言えなかった。」

 遠くに船が小さく見えた。水平線に沿うようにゆっくりと動いている。近くで見たらどれくらい大きいのだろうとぼんやり疑問が浮かんだ。

「一緒だね…。」

ミラはハンカチに目を落とした。

「私もね、さっきまでずっと泣いてた…。そしたら夢の中でね、ジャンが話しかけてくれたの。死んじゃった猫と一緒にいて、クロがありがとう。ありがとう。って何度も何度も言ってくれた。」

「そっか…。」

  きっと偶然じゃないと思った。夢を通してクロの気持ちは確かに届いたんだ。あの映画館は何だったのだろうか?本当に私だけの幻想世界なのだろうか?

「おねぇちゃん一人で帰れる?これからどうするの?」

  ミラは心配そうな顔で尋ねた。

「もう大丈夫。あなたと話して少し元気でたよ。」

「そっか。…ふふ。なんかおねぇちゃんと初めて会ったって気がしないなぁ。」

「前にどこかで会ってるかもね。ミラは今日はお休み?」

ミラはハッとした表情になった。

「今日から学校なの!帰って準備しなくちゃ!あぁ、修行もしなきゃいけないし…もういくね!」

「しゅ、修行…?なんの?」

そう聞くとミラは誇らしげな顔をした。

「ま・ほ・う! 渡された師匠の本が難しくて全然進まないのー!」

 リリィはぷっと吹き出した。『師匠』などと私の前で一度も呼んだことないくせに。

 ようやく学校に行き始めたんだね。魔法もやってくれるんだね。

「なんで笑ってるの!?」

「いってらっしゃい。ほーら遅刻するよー!」

「もーう!じゃあね!気をつけてね!ばいばーい!」

 ミラはぷくっとした顔を見せて元気に街の方へ駆けてゆく。すると離れた所から彼女は立ち止まって振り返った。

「ねー!どうして私の名前知ってるのー!?」

 彼女はこの街でこれからも幸せに暮らすだろう。魔法に触れながら、時々でいいからジャンのことを思い出してほしい。

 私は叫んだ。自分が発したのにまるで違う人の声に聞こえて変な感覚だった。

「自分で言ってたよー!!」

 そうだっけ?と呟いたのだろう。彼女は首を傾げた。前を向いて走り去っていく彼女の背中を見えなくなるまで見つめた。

 

もちろん私は可愛い弟子のことを一生忘れないよ。

「ありがとう。ミラ。」

 

 

 

 

夜の影帽子【26話】呪い

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「うわぁぁぁぁぁぁん!!」

 ジャンの体でリリィは小さな子供のように泣いていた。その姿に胸が痛めつけられ同情心を煽られる。

 彼女は二重人格ではなかっただろうか?女優が演技を始めるように、人格が変わったのはそれこそ何かに憑依されていのではないか?もしかしたら俺が恋をした正常な女がいて、今まさにその子が熱さに苦しんでいるのではないか?

「いだいよぉ!あづいよぉー!!!」

 太陽の炎というのはこうも長く燃え続けるものなのか。あの苦しみを知っているからこそ、痛みから解放させてあげよう。

 海に落とすことを考えた。せめて最後は楽にしてやろう。火傷を覚悟で炎を帯びた肉体を押そうとしたその時、

「うっ…!」

 急激な頭痛が走り、思わず膝をついた。リリィの脳内に多くの情報が流れてきた。まるで脳に押しかけるように、頭の中に沢山の見覚えのない写真が高速でフラッシュバックした。おそらく彼女の今まで見てきた景色だ。頭を掻き毟り悶えた。

「記憶…?リリィの?」

 数十年分の記憶は地面に近い視点から始まった。幼少の頃見上げた風景、そして多くの人間達が目を覆うように過ぎていく。

 父親の姿、母親の姿、妹の姿、使用人達の姿、友達の姿、男達の姿、沢山の知らない顔が無造作に溢れ出す。お嬢様なだけあってその上流の暮らしぶりが伺える。

 貴族の行き交う街並み、真っ白い豪邸、豪華な食事、緑豊かな広い庭、鮮やかな花畑、大きな寄宿学校、天井が高く広い部屋。ハイカラなベッド、どれもジャンの今まで見たことのない、異国の文化であった。

 木漏れ日の下で母親に抱かれている。青い箱庭を妹と二人で笑い合い走り回っている。花畑で友達と花飾りを作っている。多くの大人達に囲まれて挨拶をしている。彼女は誰しもに愛されていた。

 しかし徐々に視界が高くなるにつれ紛れこんできたのは光とは対照的な赤黒く染まった写真。その数が徐々に増えてきて、きらびやかな世界をよそに余計に目がいき、嫌でも目立たせた。

 薄暗い地下室に数々の器具。磔にされた悪魔の見るに耐えない姿。椅子に縛られて拷問されている姿。炎で炙られている姿。檻の中で何人もが手を伸ばしている姿。四肢もなく床を這いつくばう姿。死体とも言えない肉塊。内臓。血しぶき。流血。あぶくの赤。赤。赤。赤。そして最後に流れてきた赤は、よく知る顔だった。

「あ…あ…うわああああぁ!!!」

 嘔吐した。じわりと涙で海が滲んで見える。こうして吐き続けていられたらまだ楽かもしれない。荒波のようにこれから迫りくる慟哭に精神が耐えられないかもしれない。泣き叫び、顔がぐしゃぐしゃになるほどに呻き喘いで地面に伏した。正気の沙汰ではないほど有り余る残忍な暴力。拷問。殺害。これは悪夢だ…。これこそが本物の地獄だ。

 怒りが湧き上がり、膨れ上がった。今にも空に舞い上がりそうな灰の肉塊を充血した目で睨みつけた。

「お前は一体…どれだけの悪魔を…!」

 ジョー以外の悪魔を初めて見た。中には凶悪な顔をした悪魔もいた。人殺しの目をしたような悪魔もいた。皆顔が歪んでいる。泣いている者や、物凄い形相で睨みつける者もいた。叫び狂って暴れている者もいた。祈るような所作をしている者もいた。残虐非道な所業の数々をまるで自分がして来たことのように錯覚しそうになった。ジョーを俺が殺したみたいだ…!

 彼らは処刑されるべき悪魔なのかもしれない。沢山の人間に恨まれている悪魔なのかもしれない。被害者には爽快なのかもしれない。なのにどうしてこんなに胸が痛むのだろう?ただただ悲しかった。

「どうして、こんな…酷いことができるんだ?」

「あはあはぁひひひひひ。ひひひぃぃぃぃ!」

  肉塊はこちらを見て笑っていた。風に吹かれ前髪が揺らいでいる。ジャン・フランクリンの顔は無惨に半壊していて妙な心地になり、肩をすくめて真っ白な細い二の腕をぎゅっと掴んだ。

「あひゃひゃひゃひゃ!!あひゃ!あひゃ!」

  振り絞るように狂い始めた。足元から灰と化し、ゆっくり崩壊が進む。

「まだ喋れるのか…。」

「ひひひーひひひー悪魔と魔女は♪拷問の歴史!拷問の歴史ぃぃぃ!!」

 何が彼女をこんなにも変えてしまったのだろうか?

 ジャンはついに首だけが残され、それでさえ原型を留めていない。憐れみの視線を送り、最後に別れを告げた。

「おやすみ。リリィ。」

 口元がすでに崩れているので彼女はもう喋れないだろう。ただじっと静かに空を見上げて最後に浸っているように見えた。もはや意識もとっくにないか、死んでしまったのだろう。

 

 しかし次の瞬間。その首はギョロリと目玉をこちらに向けて、確かにはっきりと言い放った。

 

『私の呪いはあなたの中で生き続けるわ。』

 

 

 

夜の影帽子【25話】西の悪魔と東の魔女(下)

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 痛みで目が覚めた。目の前に広がる快晴の空と静かな波の音。そして斜め上から燦々と突き刺す日差しが、相変わらずジャンの体を燃やし続けていた。夢じゃないこの地獄こそ、紛れもない現実だ。

 黄泉の世界から帰ってきて、再び圧倒的に不利になった。初めて直に見上げた太陽の日差しは容赦がない。けれど不思議なことに起きてからは炎に熱を感じなくて、状況は最悪なのに身体は楽で、むしろ温かく感じた。

 ジョーは悪意の業火に炙られ死んだ。とても苦しかっただろう。つらかっただろうに…。

 

 初めて会ったあの日。彼は店で話しかけてくれた。当時は馴れ馴れしくて鬱陶しかった。

「ジョー…ブラッディ?すごい名前だね。」

「悪魔にふさわしいだろ?ジャン・フランクリン。」

 そう言って彼は口を開き、嬉しそうに牙を見せてくれた。衝撃だった。

 朝日に怯えて暮らしてきた。毎日、毎日、何年間も影帽子の中にいた。本が友達だった。他人と深く関わることなど出来ないと思ってた。そこに突然現れたジョーは何度も俺と向かい合って沢山の話しをしてくれた。外の世界を教えてくれた。生まれて初めてできた大切な友達なんだ。

 本には載ってない彼の映画をこれからもずっとそばで見続けいたかった。ずっとずっと話しかけてほしかった。誰よりもジョー・ブラッディの生き様を見ていたかった。

 

「…お前なんかで…終わってたまるか。」

 赤いドレスの女は焚き火でも眺めているかのように見下し、青い瞳を細めて微笑した。

「なーんだ。もう死んじゃったのかと思った。あなたの炎とても綺麗ね、ジョーを燃やしたときは最後まで生に執着して見苦しいったら、」

「いいんだよそれで…リリィ。お前は世界一哀れで可哀想な魔女だな。」

「能無しの悪魔が気安く呼ばないでくれる?大好きだよ♡はやく死んで?」

「たとえ…ひと時でも、お前に恋してよかったよ。」

「気持ち悪いわね。まぁ今のうちに好きに喋っておけば?もうすぐ私のコレクションになるんだから光栄に思うのね。」

「さようならだリリィ。」

「さようならジャン。楽しかったわ。これからもずっとそばで愛でてあげる。」

「…こっちのセリフだ。」

ジャンは呪文を唱えた。


「黒魔術最終章【人間失格】」

 人間に完全憑依をする著者の最高傑作の魔術。死を覚悟した者、もしくは死に際の者が対象の相手に完全に、その肉体が朽ちるまで永遠に憑依することができる。対象の魂は術者の魂が肉体に入り込むと同時に深い眠りにつくか、互いの関係性によっては対象の魂が肉体を譲り、別の容れ物を探して術者の肉体に入り込み肉体交換をする場合もある。呪いは一度かかれば解くことはできず、魂が元の肉体にもどることもない。愛し合って心中するつがいならスムーズに一つの器に二つ魂が収納される。

「死を覚悟すること又、死に際であること」

「対象の生き血を飲むこと。」

「対象に恋をしていること。」

 以上の条件が全て揃って詠唱せよ。術式は「黒魔術第五章【人間解凍】」と一字一句同じである。


 この本と疎遠になっていたのは最後の曖昧な条件だった。当時のジャンにとっては馬鹿馬鹿しかった。今まさに不安要素はその項目だ。俺はまだ彼女に恋をしているだろうか?…親友を殺したこの女を最後は憎んでしまった。


 術式を唱え終えても、いまだに炎は赤く視界を包んだままだった。ジャンの肉体はもうすでに真っ黒くなりつつある。

 ああ。駄目かもしれない。やっぱり呪文は失敗だった。やはり俺は心の底から憎んでしまっていたのだ。一度きりの恋心など微塵もなく、憎悪が上書きされたからだ。

 もう考えるのはやめようか。やれることはやった。この刹那を噛み締めて生きよう。これでよかったよ。ようやくジョーに会えるのだから…。

 そのとき温かい手が顔に触れ、誰かが額にキスをしてくれたような気がした。

『おやすみなさい。ジャン。』

それはアリーだった。

 

 

 

『ぎゃあああああああああ!!!!』


  叫び声に目が覚めた。何故か視界が高くなり自分は地に足をついていた。見下ろすと足下に火達磨になった男が横たわっいる。すでに全身に炎が行き渡っており下半身に至ってはすでに崩れかけ、所々、暖炉にくべた薪のように弱い炎を纏っていた。肌が焼ける強烈な臭いに反射的に鼻を塞いだ。

 俺は今、赤い服を着て、手足が女のように白くて細くて、体が違和感で溢れていて理解に時間を要した。

 つまり、この足元の男は…

「俺だ…。」

「あづい!!あづいよぉ!!!助けてぇ!!!ままぁぁぁあ!痛い痛い痛い痛い!!」

火だるまが叫び、のたうちまわっていた。

「あぁぁぁぁ!!!ごめんなさい!!返してぇ!!私の!私の体ーーー!!!」

 断末魔のような叫びは胸が詰まるようだった。ジャンの声質で、リリィの声明だった。自身でも出したことがないほどの金切り声を上げ、彼女は地面で苦しそうに訴える。

 どうやら黒魔術は成功したらしい。俺はハイヒールを脱いだ。妙に落ち着かない。手であちこちを触ってみた。女の体というのはこんなにも感覚が違うものなのか…。

  男を見下ろした。二十年間、この肉体にお世話になった。妙な寂寥感に苛まれながらもその肉体に向け感謝を口にした。


「ありがとう。ジャン。」

 

 

夜の影帽子【24話】退場

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 映画館はまるで火事のようだった。誰もいない観客席に火の粉が散った。おそらく猫人間達は慌てて出ていったのだろう。あたりのゴミにまで火が飛び移り、もうこの映画館は終わりだと思った。

 目の前のスクリーンがゆっくりと燃えている。火のフレームは中心に向かってじわりじわり焼けて、まるでその余白が残された命を示しているようだった。火の中の映像は初めて影帽子でない外観を写した。最後に見た視界、それは港から見た海の景色。いよいよ黄泉の世界CINEMA HEAVENに別れを告げるときだ。長い旅だった。死に際の刹那でこんな映画鑑賞を強いられることになるとは思わなかった。

「さぁジャン・フランクリン。飛び込むのです。今のあなたなら運命を変えることができる。」

 映画館に響き渡るように声が降りてきた。最初からそうやって喋ればよかったのに。クロに案内役を押しつけて、あんな目に合ってもこいつは黙って見てたのだ。天使がきいて呆れる。

「このまま燃え尽きるまで待ってもいいんだけど?」

「せっかくの機会を無駄にするのですか?」

「生きるさ。ジョーの分までしっかりと。」

 天の声が黙れば映画館はボワボワ燃え盛る炎の音だけがこだました。

「ところでさ、本当に天使なの?」

「ここではよくそう呼ばれますが、私はただの待ち人です。あなたがここに来るのを待っていました。」

「俺は悪魔かと思ったよ。」

「ふふ。それもまた間違っていません。ちなみにあれはクロの贖罪です。あの子だって生前は容赦なくネズミを殺した。誰にでも罪はあるのです。命に境界線はないのですよ?」

「それなら一体、この世の誰が天国に行けるんだ?」

「これはあなたの夢の中です。今まで見たものが他の全ての生き物の死生観と一致するとは思わないでください。死後の世界は皆違うのです。」

「別に帰って宗教とか開くつもりはないけどさ、どうして俺だったの?」

「まるで自分が選ばれたように言いますね。命には階級もない。それは現世の人間が勝手に作った仕組みです。大きさや形は違えど魂の重さは皆同じ、太陽が照らせば平等に影を作るのです。」

 答えになっていない上に言っている意味が分からなかった。影を作るからなんなんだと言うのか。

「あなたと私の目的が一致することは時々ありました。あなたは塞ぎ込むたびに私を呼び出した。けれどあなたは行動に移したことは一度だけ。そしてそれも失敗した。それで良いのです。私は待ち人…いつだってあなたが来るのを影の中からゆっくり待つことが役目なのです。」


<1943年12月24日 自殺を図る>

 

 猫人間達が唯一息を飲んだ瞬間を思い出した。あの日、俺は死にたかったんだ。けど死ななかった。こうして殺されかけてやっと死ねるなどと微塵も思わなかった。本当は生きたかったんだ。

 そうだ。わかったぞ。こいつは天使なんかじゃない「死」そのものだ。誰もが待たせている運命そのものだ。いつだってこいつは鏡の中から、影の中から、頭の中から手を振っていた。

「あんたが…本物の「死神」。」

「さて…どうでしょうか?しかし「死」を弄び、自ら「神」などと謳った現世のあの男。あれを長い年月私たちは野放しにしていきましたが、あろうことかとうとうあなたまで殺そうとしている。とても不本意でした。」

「俺はあんたのお気に入りみたいだな。死神なのに延命しようとしてるじゃん。」

「あなたは私、私はあなたなのです。生と死。光と影。表裏一体の存在。せっかくお互いの望んだ死が実り、美味しそうに熟しそうだったというのに、神聖な儀式を台無しにされてしまうのが悔しかったのです。あなたが殺されようが死んでしまえば迎えいれる準備を本来しなくてはならない。ですが、物は試しに賭けてみたくなったのです。あなたの「生」に対する執着に…。いい演出だったでしょう?」

 神聖な儀式とはまさか首を吊ることだろうか?なんとおぞましい存在を影で飼っていたのだろうか。いや、飼われていたのは俺の方だった。

「回りくどいよ。黒魔術のあの本を映画の中で読ませたかったんでしょ?でもおかげで真実にたどり着いた。今に奴を送り届けてやるさ。」

「ええ。それはそれはとても助かります。ついでに本も燃やしていただけると幸いです。」

 声の主はニヤリと笑ったように感じた。

「彼はまた新しい肉体を手にしました。今こそ好機なのです。」

「なら、見た目だけじゃ分かんないな。」

思い当たる特徴はあるが…。

「さぁお行きない。私はこれからもCHINEMA HEAVENから、鏡の中から、影の中から手を振り続けます。いつだってあなたのそばにいますよ。今のあなたなら私を名乗ってもいいかもしれませんね。生き返ったようなものですから「神」をつけても構いませんよ?」

「いちいち何言ってるか分かんないんだよ。あと言っておくが俺はもう自殺なんてしない。絶対に生きるんだ。」

  一歩間違った勇気で、今頃、誰かの人生を鑑賞し、嘲笑い、邪魔をするだけの醜い猫人間になっていたかもしれない。そう考えただけで寒気がする。絶対に今度こそ生き抜いてやろう。

 ジャンは意を決して燃えさかるスクリーンの中へいきよいよく飛び込んだ。

「ふふふ。ニセモノを頼みましたよジャン・フランクリン。」  

 

 私は待っています。あなたが苦悩した表情で再びここに現れるのを…。