今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

夜の影帽子【23話】童話の真実

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「おしまい。おしまい。」

アリーは本を閉じて。こちらに優しく微笑んだ。

「さぁ坊や。もうお休みなさい。」

「アリー…。」

掛け布団をジャンの肩までかぶせ、額に優しく手を重ねた。

「なぁに?」

 ラストシーンだ。映画館に戻ったジャンに天から降り注ぐように声が聞こえた。それは通告次で最後だと言う通告だった。

 ここは見慣れた寝室の中。自分はおそらく九歳の体でベッドの中で横たわっている。やけに全てが大きく見えた。

 幼い頃、アリーが寝かしつけてくれた。まだ自分が悪魔であることも自覚していなかった。毎晩こうして枕元でおとぎ話を読み聞かせてくれた。

 久しぶりの再開に望郷の念がかられた。アリーの顔は最後に見たときよりもはるかに若々しいけれど、この時、影帽子の経営が安定していなかった上に、コブまでついてしまった。彼女は美しも儚く、まるで未亡人のようにやつれ切っているのがわかった。

「アリーはどうして影帽子を始めたの?」

「あら…どうしたの急に?」

「アリーのことを知りたいんだ。」

「帽子が大好きだからよ。」

「国宝の魔女になりたかったんじゃないの?」アリーは目を見開いた。不審がるような目つきだった。

「あなた…誰?」

  こうも早く悟られるとは思わなかった。真実を知るのに子供を演じながら質問を繰り返そうとした。目の前にいるのは正真正銘の小さなジャンだから未来から来た本人の魂に憑依されても気づくはずないと高を括った。けれど昔から彼女の前では隠し事ができないほどに感が鋭かったが、まさかここまでとは思わなかった。

 身を起こし決意した。嘘は通用しないので、最初から話すしかないようだ。アリーは何かを知ってるはずだ。

 ジャンは全てを明かした。自分は未来から来たジャンであること。不思議な魔法で過去の世界を彷徨い、今まさに子供のジャンに憑依しているということ。未来ではジャンの命が狙われて、親友が殺されてしまったこと。それは三人の魔法使いのうちの誰かだということ。

 泣き出しそうなのを堪えた。信じてくれるか怖かった。

「そう…。とてもつらかったわね。それは何年後かしら?」

「十四年後、二十歳になってすぐだよ。」

「未来の魔法は過去にまでいけるのね…。」

「それは…。」

「全て信じるわ。魔法が生きる世界で、何があっても不思議じゃないし、私や店のことをよく知ってるもの。」 

ジャンは胸を撫で下ろした。

「よく似たことができる魔法使いを一人知ってるわ。今のあなたのように…。」

「憑依できる魔法使い?」

「そう。さっき読み聞かせたでしょう?『悪魔のジェニファー』…。三人の魔法使いの一人よ。」

「なら三人目の見習いの魔法使いマーリン?」

「彼はそんなことしないわ。マーリンはジェニファーを燃やした後、最も偉大な魔法使いになり、人々を従えてこの街を作った。そしてジュリアナの伝説として永遠に讃えられることになったのだけれど、それはさっき読み聞かせた、ハッピーエンドね。」

「けど二人目の東の魔女は魔法を使えなくなったんでしょ?」

「あら…残酷な歴史だからあなたには話さないつもりだったのに、どうやら知ってるのね。…そう。彼女は魔法が使えなくなってしまった肉体を弄ぶ残虐な魔女よ。」

「…まさか。」

「一人目の年老いた魔法使いよ。」

「けど、死んだんじゃ…」

「死んだとはどこにも書いてないわ。悪魔にガイコツの姿に変えられてしまっただけ。ジェニファーは彼の夢を叶えていたのよ。肉体を持たないガイコツは歳をとることもないもの。彼は文字どおり永遠の命を手に入れたのよ…。」

「そんなことって。」

「けれど彼はやがて肉体を求めるようになった。これは一人目の魔法使いの話し。」

再びおとぎ話を読み聞かせるような口調で彼女は静かに喋る。

「夜になると村や街に繰り出しては死にそうな人間の前に現れ、魔法で魂を操る実験を繰り返しました。ガイコツの姿を目にした人々はその姿を「死神」と呼ぶようになりました。」

 ジャンは黒装束の鎌を持ったJOKERのトランプを思い描いた。あれは一人目の魔法使いだったのか。

「何千人もの命を弄び、とうとう彼は、自身の魂をガイコツの体から抜き出し、一つの肉体を器として手にしました。それは初めて完全な憑依に成功した瞬間であり、同時に寿命を再び手にしたのでした。肉体を手に入れても死神はその後も実験を重ね、自身の魂を他の器に入れ替え続ける黒魔術で実質の不老不死を手にした。そして研究の成果を一つの本にまとめましたとさ。」

「もしかして…。」

「あなたの下に隠してある黒魔術の本のことよ。」

 この頃はベッドの下にあったのか。

「未来で奴は本を奪い返そうとしてるのね。」

「どうしてアリーがそんな本を持ってるの?」

「三人目の魔法使いは私の先祖なの。一族は彼から本を取り上げ、殺そうとしたけど逃げられたわ。末裔である私に魔法学院卒業と同時に命令が下された。」

「命令?」

「この本を一生隠し続けること。」

「それが夢を諦めた理由になるんだ。」

「可愛い顔して痛いところついてくるのねジャン。たかが一冊の本を隠すだけ…。けれど私はとても大事な使命だと思ったわ。国の魔女はつねに王様について回る、世界中を旅しなければいけないのよ。」

 アリーは怖い顔をした。彼女はすがれる理由を作っては言い聞かせているようにも見えた。疲弊しきった顔を見て、彼女の選んだ道が間違ってたなんて言うことなど出来ない。だって俺は彼女が夢を諦めたおかげで命を救われたのだから。

 ベッドの下から黒魔術の本を取り出しジャンに差し出した。

「参考になるか分からないけれど一番最後のページを開いてみて。」

 開いてみると最後のページは真っ白だった。アリーは自身の親指を歯で噛み切った。

「ちょっ、アリー!」

「いいから見てなさい。」

 アリーは落ち着いた様子で白いページに指から血を垂らした。ページはみるみる血が染み込み始めた。すると赤い文字が浮かびあがってきた。

 

《ペトロロス・ペンタゴン


 著者の名前だ。一人目の魔法使い、つまり死神の本名だろうか?

「死神は顔も名前も変えてしまってるだろうからすぐには分からないわ。けれどいつか私達の前に姿を表すはずよ。」

 疑いは確信に変わった。おそらくあいつが一人目の魔法使いだ。そして俺のせいで…本が見つかった。

 ジャンはすぐに黒魔術の本をめくり、何度も何度も速読をし始めた。

「どうやら私、あなたを巻き込んでしまったようね…。それだけは絶対にしちゃいけなかったのに。未来の私は一体何をしてるの?」

「アリーは東の国に向かったんだ…。」

 ジャンはページをめくながら答えた。

「本を置いていったの?どうしてまた…。」

「俺の病気を治すためだよ…。」

「あなたのため…?」

 ジャンは速読をやめて、アリーを見て言った。

「アリー…悪魔の俺を…影帽子に迎え入れてくれてありがとう。ご飯を毎日作ってくれて、こうして寝かしつけてくれて、本当にいろんな事を教えてくれた。これからもずっと、俺にとってアリーはこの世界で一番の魔女なんだよ?」

「ジャン…あなた。」

「大好きだよアリー。」

「ジャン…。」

「未来に帰るね。えっと…寝る前におまじない唱えておいて。この時は怖がりだったから。よろしくね!」

 ジャンは屈託のない笑顔を見せた。視界が白くなりつつあった。アリーの悲しげな顔にノイズが走り出す。これで最後だ。

「ジャン!死なないで!私、どこにも行かない!あなたのそばにずっといるわ!!」

 

「ありがとう…。アリー。」

 

 

 

 

夜の影帽子【22話】再開は泥酔にて

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 再びスクリーン中央に戻ってきたジャンは立ち尽くしていた。スポットライトに照らされるように正面から強い光を受けても気に留めず、ただ呆然としていた。

 「生きてる…。」

 映画館はやけに静かであった。誰もいないと思った観客席には先ほどの猫人間達が全員行儀良く座りこちらを眺めていて、まるで別の映画館に来たみたいだが、ゴミが散乱し、忘れもしない猫の顔がおとなしく鎮座したので逆に気味が悪かった。何かあったのだろうか?人間性を失ったとはいえ彼らにはつくづく辟易する。全員に報復をしてやりたいが、クロがまた自分のせいで気まぐれな天使とやらに引き戻されては困る。

「そのまま大人しく見てろよ。」

 ジャンはボソッと言い放ち、適当な空席に座ろうとした。通路に歩き出すと、背後の映像にザザっとノイズが走り、画面が歪みはじめた。 振り返ると パッと、画像が鮮明に浮かび上がった。それは再び影帽子で、夜の店内の景色であった。テーブルの上には黒魔術の本が【人間解凍】のページを開いて置かれている。

 そのとき突然、前から強風が吹いた。向かい風はスクリーンの中へ吸い込まれながら、まとわりつき、何かに掴む間もなくすさまじい風圧で、ジャンの体は飛ばされた。猫人間達は必死でイスにしがみついている。ジャンは空中でもがきながら再びスクリーンの中へ投げ出されて、いきよいよく吸い込まれていった。

「今度はなんだよぉ!」

 

 影帽子の中まで風が吹き荒れていた。戸棚を揺らし、窓ガラスをピシピシッと叩くように店の中は竜巻が起きているようだ。風は徐々に弱くなり、収まった。

 テーブルの上で開かれた本を見て察した。おそらく記憶をなくすほどに酔って黒魔術の呪文を唱えてしまったアリーがいなくなる前日の夜に違いない。酔っ払って術式で引き寄せ、あろうことか未来の魂を過去の肉体に憑依させてしまったらしい。向こうの意思で呼び出して見事成功した。自分が自分の魂を釣り上げたのだ。間違いなくこの映画は過去の現世とリンクしているではないか。

 目の前に座る赤髪の男に刮目した。彼は半目で虚ろ虚ろしているようだった。ジャンを見て言った。

「なんだ終わりか?つまんねーなぁ。」

 彼と目を合わせた。ジャンは胸が締め付けられた。震えた下唇を噛み締め、目には涙が溢れ、膝から崩れ落ちそうだったが、男に身を委ねるように飛びついた。

「ジョーー!!」

  急に抱きしめられてジョーは硬直し顔が引きつった。ジャンが顔から水という水を垂れ流しながら吸い付いているからだ。

「ジャン!何してんだ!俺の胸で泣いていいのは女の子だけだぞてめぇ!」

「うぅぅぅ…。」

「あーあーだめだこりゃ失敗だな。ったく飲みすぎだぞ。」

「ジョー…。死なないでよ。」

「あん?」

「俺を置いて…死なないでくれ…!」

  確固たる自我はあるけれどまたまた情けないほど酔っていた。この日はワインを二本も開けていたのだからどうすることもできない。せっかくジョーに会えたというのにコンディションが最悪だ。

 ジョーと同じ場所にいられるなら天国でも地獄でもいいのに叶わない。なぜなら俺は生きている…かもしれないから。あの時、素直に喜べなかったのは彼がいないのならどの世界にも意味はないと思ってしまったからだ。

「ジョーが殺されちゃうんだぁぁ。」

「さっきから何言ってんだよ!この俺様が殺されるだとぉ!?一体誰に?」

「金髪で青い目の女。リリィに殺しを依頼したのは……わかんない。三人の魔法使いのうちの…一人だって…言ってた。」

   何から話せば良いのだろうか。泥酔状態でもなんとか警告しなければならない。これも現実に影響する事例だ。しかしあの時、俺が泣きべそで何を伝えたのか、ジョー自身も酔っ払っていて覚えてなかった。ここで警告をしても意味がないのだろうか?事実ジョーは殺されてしまったのだから。

「青い目ってのは悪魔狩りの女か?…そして三人の魔法使いってのは『悪魔のジェニファー』だな?」

 ジョーが冷静に受け入れたことが意外だった。彼は本当に酔っているのだろうか?もしかしたらここで未来は変わって、

「ぷっ、ははははは!」

 ジョーは腹抱えて笑い出した。

「映画の見過ぎだよ!監督でも目指したらいいんじゃねーのかぁ!?」

 ジャンの肩に手を乗せて愉快そうに笑った。どうにかして信じ込ませなければ、

「主演俳優はこの俺!ジョー・ブラッディだよな?」

「よく聞いてくれジョー。今から三ヶ月もしないうちに君は殺される。二人でその依頼主を探そう?頼むよ…。」

 説得するもジョーは顔色一つ変えずに黙って聞いていた。親友には必ず生きていてほしいのだ。運命を…

『ジャン。運命を変えるんだ…。』

そうだクロ。俺は運命を変えてみせる。

 ジョーはいつになく鋭い眼光を向けた。

「魔法は好きだがな、占いなんか俺は大っ嫌いなんだ。俺様が死ぬなんてことは冗談でも口にするなよ?言ってることが滅茶苦茶だ。」

「占いじゃない!真実なんだ!魔法で未来から来たんだ!」

  ジョーの確固たる主張がジャンを苛立たせた。加えてお互いに酒が入っていて余計に噛み合いずらい。

「死んだらどこいくかを浮遊霊に尋ねてみようなんて言って、わざわざ二階からそれっぽい本まで出してきやがって…。魂も神様も存在しないんだよ。死んだら終わり。ゲームオーバーなんだよ。」

「ジョー…。魂は確かに存在するんだ。天国も…たぶん地獄だってある。俺が今ここにいることが証明なんだ!」

「演技もここまでくると笑えねーなジャン。『生きて帰りし者なし』って言葉くらいお前なら知ってるだろう?」

「…そうかよ。ならこれだけは信じてくれ。俺達の命を狙ってる奴がいるんだ。」

「それが三人のうちの誰かだって?」

「えっと…もしかしたら客の中にいたかもしれないんだ。」

「今度は探偵かよ…。わざわざ悪魔狩りを雇って殺そうとしてるのか?」

「そうだ…。君はそれに巻き込まれてしまうんだジョー。だから俺の見張りなんかしないでくれ。」

ジョーは眉を寄せて訝しげにジャンを見つめた。

「なんだ…知ってるのか?」

「俺のこと見張っててくれるんだろ?どうしてかは分からないけど…アリーがいない今、危険が迫ってるのは知ってるはずだ。」

「アリーはまだ…」

「明日からいなくなる!アリーに頼まれなかったのか?」

「アリーにはな…旅行するからジャンの相手をしてやってくれって言われただけだ。まぁ言われなくてもそのつもりだがな…。」 

「そうか。」

「なぁもういいだろ?ほらよ!トランプしようぜ?」

「ジョー。どうして全然信じてくれてな…」

  突然視界が霞んできた。これは酔いのせいなんかじゃない。戻るのだ。この時間が、この場面が一番重要なのに、このまま親友と永遠の別れなのか?絶対に嫌だ…!

 しかし意志に反してジャンの魂はちゅるりと抜けた。肉体から抜け出てきたジャンの魂は空中を漂い、しばらく天井から影帽子の店内を見下ろすような景色になった。俺が浮遊霊になってしまった。下では千鳥足でなんとか立っていられている自分の肉体、この場合、過去のジャンと、それを戸惑いながら観察するジョーがいる。

「おい!ジャン、今度はどうした?…ったく忙しいやつだなぁ。」

 ジョーはペシペシとジャンの頬を叩いた。何度もまばたきしてはなにやら唸っている。

 天井から何度も肉体に入り込もうと試みるが、うまくいかなかった。せっかくのチャンスなのにあろうことか酔っ払ってるなんて!目に余るような自分の体たらくにも苛立ちを覚えた。

「このまま…お別れだなんてあんまりだ!」

 ジョーはジャンをイスに座らせ一人でトランプを切り始めた。対戦相手が酔いどれの状態でよくやろうと思えるものだ。今はそれどころではない。真下のジャンがもう少し落ち着いてからもう一度体に飛び込もう。

 ジョーはトランプを開かれた本の上で仕分けを始めた。まるで黒魔術にまったく興味がない様子で雑に扱っていた。今に傍らのワイングラスが本の上に倒れそうだ。

「ちょっとジョー!本が濡れちゃうよ!」

 霊体としてのジャンの訴えは聞こえない。本に赤いシミなどなかったが、トランプカードが挟まっていたのはジョーのせいだったか。

 ジョーは仕分け終えると一枚余ったカードを取り出して、静かに眺めていた。黒装束を纏ったガイコツが手に大きな鎌を携えている絵に「JOKER」と書かれている。彼は「死神」を鼻で笑って呟いた。

「しっかし、黒魔術ってのも大したことねーなぁ。このページなんか発動条件が『恋』だとぉ?……素敵じゃねーか!」

 リリィが最後に言っていた言葉をふと思い出した。「JOKERが笑ってる」とは一体誰のことなのだろうか?俺が今に命を刈られそうだったからそう例えただけなのか?再び殺意が芽生え、腹わたが煮えくり返しそうになる。親友の仇。もし生きているとしたら必ずこの手で殺してやる。しかし本当に生きていたとして、死に損ないに何ができるというのか…。あの体では指一本まともに動かすことができなかった。罵詈雑言を彼女に吐いた所でひどく虚しいだろう。

 ジャンはテーブルの上にトランプ台になった黒魔術の本を見て思った。唱えることならあの状態でもできるかもしれない。再び煉獄の痛みに耐えなければと思うと余計に生きて帰ることが恐ろしく億劫になってくるのだった。

 

 ゆっくりと店のドアが開いた。入ってきたのはよく知る人物だった。ジョーが話しかけた。

「よぉ!こんな時間にどうしたんだ?アリーはもう寝てるし。ジャンならほら、この通りだぜ?」

 

 

 

 

夜の影帽子【21話】ミラとクロ

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 再び同じ日の影帽子の中へ戻ってきた。ありがたいことに二日酔いは薄れていた。視界が捉えたのはミラだった。彼女は怯えた表情で後退りしている。今に出て行こうとしている雰囲気だった。

「にゃぁぁ。」

 引き止めようした瞬間に目の前の黒い骸からか細い鳴き声がした。どうやらクロも自分の肉体に入れたようだった。

「クロ!!」

 ミラは駆け寄ってクロを抱きしめた。抱擁にすがれる力は見るからに無く、どうやら顔しか動かせないようだ。大粒の涙を流しながらごめんね。ごめんねとクロを優しく包み込む。このままだとぬか喜びさせてしまう。

「ミラ…。クロはお別れを言いに来たんだ。今から俺がクロの言葉を伝えるからね。」

 しゅわくちゃな泣き顔でジャンを見上げた。驚いてる様子だった。昨日見た顔のはずなのにもうだいぶ昔のことのように思える。 

「やだ、お別れなんてしたくない!したくないよ!!」とぶんぶんと首を横に振った。

「ミラ…これは最後の時間なんだ。クロの言葉をしっかり聞こう?」

  何度も大きく鼻をすすり、顔を真っ赤にしていた。ジャンの方をゆっくり見て、まだ何か言いたげそうにコクンとうなずいた。顎先から涙が落ちる。

「クロ…喋っていいよ。」ジャンは話しかけた。

 クロは喋る。それはジャンの声だが確かにミラには、聞き慣れた鳴き声が人間の言葉になって喋りかけているように感じた。

「ご主人様…。ご主人様…。」

「あの日、僕を水から救いあげてくれてありがとう。」

「温かいお家に入れてくれてありがとう。」

「温かい毛布に包んでくれてありがとう。」

「ご主人様が作ったミルクは熱かったけど、すごく美味しかった。」

「一緒に寝てくれてありがとう。」

「…たくさん遊んでくれてありがとう。」

「僕は…とても…とても幸せでした。」

 ミラはクロの体を何度も撫で、すすり泣いている。

「クロ…!一人はいやだよ!寂しいよ…!クロ…いかないでよぉ!」

  ミラはクロに顔を埋めるように抱き寄せた。堰が切れるのを堪えジャンは間を持つ。

「これからも…ずっとそばにいるからね。」 

 クロは愛でるような眼差しをミラに送り、優しく微笑んだ。やがてジャンの方を見た。

『どうやら僕、もう行けるみたい。』

「えっと…天国に?」

『うん。ようやく終わった。短い時間だったけどジャンといれて楽しかった…にゃ。』

「…よかったね。…語尾はもういいって。」

クロは安らかに微笑んだ。

『僕のためにあんなに必死に怒ってくれて、ちょっと嬉しかった。もしも生まれ変わることができたら、今度は君の所へ行きたいな。』

「なに言ってんのさ。俺だってもうすぐそっちにいくんだよ?」

『あれ?あー。そうか…聞こえてにゃかったんだね。ジャン…君は生きてるよ。』

「…え?」

 宣告にジャンは耳を疑った。今さら生きていると言われたところで信じられるわけがない。

『最初は僕も死んでると思ってたんだけど、さっき天使様が僕の口でそう言ったんだよ?』

「いや、だってここは……。」

 殺されたはずだ。港で燃えたはずだ。天使とやらが言った言葉は確かに聞き取れなかったが生きていると?それならどうして黄泉の世界なんかに来てるんだ。

『とは言っても…瀬戸際にゃ。もうすぐこの世界も崩壊しかける。』

「じゃあ俺、一体何のために…。」

『運命を変えるんだ。ジャンならそれができる。なぜなら君はこの街で…』

 ノイズが急激な速さで走る。白い光が広がり、クロとミラが遠くなり始め目の前が真っ白に染まった。去り際のクロの言葉だけはっきりと聞き取れた。

 

『君はこの街で一番の魔法使いだからね。』

 

 

夜の影帽子【20話】群衆の恐怖

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 目の前の観客席では猫人間の群衆が野次を飛ばしている。その声は猫でも人間でもないが、ただ何かを大声で訴えているのが分かる。中にはジャンを待ってましたと言わんばかりに興奮して煽ってきている連中、手を叩いて笑い飛ばす連中もいた。

 聞くまでもない。目の前にいるこいつらの仕業だ。

「お前ら何してんだ!」

叫んでも暴風雨のような声達にかき消された。

「ジャン。痛みはないから大丈夫。…もう死んでるからね。骨折れちゃって立てないだけなんだ。」

 クロは微笑むが、無理して繕っているようで居た堪れなかった。表情の奥で必死に耐えているようだった。

 痛覚がなくても痛かったはずだ。こんな大きい生き物達に囲まれて虐待を受けるなどどれほどの屈辱か計り知れない。怖かったはずだ。悔しくて仕方ないはずだ。

「なんなんだよこいつら!何がしたいんだよ!」

「彼らはもともと人間だったんだ…。この街で…自殺した人達なんだ。」

 信じられなかった。自殺した人間がこんな乱暴な真似をするだろうか?

「天国に行くんじゃないの?」

「この世界では…罪なんだ。…自分を殺めてしまったからね…。中途半端な姿に変えられて、天国にも地獄にも行けずにただ狭間をさまようんだよ…。生前の記憶も人間性も徐々に失いつつある。だから彼らはこうして天国にいけそうな映画を邪魔してるんだ…。たぶん彼らは過激な作品を期待してたから怒ってるみたい。君が今、あまりに幸せそうだったから…。」

「だからって…なんでクロがこんな目に!」

「僕は…不吉だから。黒猫なんかが天国に…行こうとして…それで…」

 クロは腕の中で虚ろな目を少しだけ開き、ぐったり垂れた。嘆かわしいその姿にジャンは思わず自分と重ねてしまった。不吉な異端者と正義を主張する多数派。異端者達は見つからないように静かに影の中で暮らしていた。ただそれだけなのに…。お前達の主張こそ邪悪そのものじゃないか…。お前達だって生前は社会に踏みつけられ、傷つけられ、剥奪され、孤独になり、絶望の中で決意し首をくくった。誰よりも少数の弱者の気持ちを知ってるはずなのに…なのにどうしてこんな…。

 目頭がたちまち熱くなった。ジャンは訴える。

「なんでそっち側の人間になってんだ!!一番なりたくなかったはずじゃないか!?人を蹴落として、傷つけて生きるくらいなら自分で死んだ方がマシだと思ってたんじゃないのかよ!!」

 それでも悲痛な叫びは彼らに届かなかった。クロの声までも聞き取りづらくなるほどに奴らの罵声が頂点に達した。汚い言葉で唾を吐きかけるような野次は重なり、集合し、巨大な生き物を前にしたようだ。ほぼ全員が罵り、挑発している。空き缶がいきよいよく飛んできてジャンの頭に当たった。ジャンの怒りは膨れ上がりついに爆発した。

 

「うるせぇぇ!!!ぶち殺すぞッ!!!!」

 

 それは稲妻のように、悪魔の咆哮が館内に響いた。突発的な凄まじい爆音に誰もが静まりかえり、肩を竦めた彼らの視線がひと処に集まった。本能を剥き出して構えたその形相は煉獄のように真っ赤に燃え、灼眼は血を流し、飛び出した鋭利な牙が唇を裂いた。彼らは全身から殺気を感じて硬直した。声が出せなかった。そこにいたのは一匹の怒り狂う悪魔だった。

 どうやら効果はあったようだ。猫人間はこちらを黙って伺っている。生前でもこんな大声は出したことがなかった。そもそも死んでいる奴らに対して「殺すぞ」は矛盾している。いまに笑いの嵐が吹き荒れるのではないだろうか?

「それなら全員八つ裂きにしてやる。」

 怒りに震えながらもジャンは違和感を感じた。静かすぎる。彼らの声と共に消えた、聞こえていたはずの音…。その欠如を探すようにジャンは辺りを見回した。

 そうだ。映画の音声がない。そう気づいたときに、背後から視線を感じた。後ろを振り向くと、青年が見つめていた。それはよく知る自分の顔だった。スクリーンの中のジャンが唖然とした表情でこちらを見つめていて、二人の視線が重なった。

 向こうのジャンの手元には黒い本が、テーブルには黒い獣が置かれていた。…あれはクロ。そしてテーブルの向こうに座っている少女はまぎれもなくミラだった。ミラも猫人間たちと同じように怯えた表情でこちらを見ている。

 それはまるで写し鏡のように、横たわる黒猫を前にした青年がこちらを振り返ることにより、現世の肉体が黄泉の魂に呼応した世紀の瞬間であった。クロとジャンによる視覚的シンクロはお互いの視線が交わった瞬間に完成し、時間を止めた。客席の猫人間は恐怖に支配されていたが直後に恐怖の支配主が創り出した一種の芸術的調和に類稀なるカタルシスを覚えた。群衆は自身にも理解しがたい涙を流し始める。彼らも困惑していた。

 ジャンはスクリーンを見つめたまま少しづつ理解した。

 そうか。さっきからずっと背後で流れていた映像は戻る前のシーンから続いていたのだ。あの日、マダムステラが帰った後に初めてミラが死んだクロを抱いて影帽子にやってきたんだ。だがそれにしても俺はなぜこちらを見ている?こちらの声が聞こえたのか?あのとき現実でも同じことが起きた。同じ時に、同じ言葉が放たれた。

「あれは…やっぱり俺の声だったんだ。」

 スクリーンは幻想世界。この映画自体あくまで過去を再現したものにすぎないのではないのか?もしも今、俺が怒鳴らなければ未来は変わっていた…?本物の現実に介入してしまったというのか?時間が矛盾している。

「ほら…君が怒鳴るから、呪文が途中で終わっちゃった…。」

 クロは弱々しく口を開いたが、声の嵐が止み今度はしっかりと聞こえてきた。今にも消えてしまいそうなか細い声だ。

「…だから僕はこうしてずっとさまよってしまったんだ。」

「どういうこと?」

 頭の中が混濁した。

「魔法があるのならこんな不思議なことだってあるにゃ。」

 クロはミラと似たようなことを言った。もしかして、あの時中途半端に【人間解凍】を唱えたことで、クロの魂は天国に向かう途中で呼び戻されてしまったっていうのか…?。どちらにもいけずにこんな冷たい世界で…俺がここに来るまで、ずっと独りで耐えていたのか…?

「そうか…そういうことか。俺のせいで…ごめんクロ…。ごめんよ。」

 透明な涙が出ていた。それは頬を伝いクロの体に落ちた。毛並みの上を雫が弾いて徐々に染み込んだ。

「これでよかったんだ。…この世界のことも、君のことも知れた。何よりも…君は僕の分身を生んでくれた。」

「それって…。」

「君の作ったクロが…ご主人様のそばにずっといるにゃ。君はそうおまじにゃいをかけてくれた…。」

「そうか…無駄じゃなかったんだ。」

 スクリーンの前で膝をついたままジャンは顔からもたれた。クロの体はあのハンカチと同じ匂いがした。…こうしてはいられない。再び抜けた力を戻した。クロを両手で抱き上げ、ゆっくり立ち上がる。

「クロ…行こう。」

「にゃ?」

「ミラのところに!」

 ジャンはクロを抱いたままスクリーンへ急いで振り返った。早くしなければミラがクロを抱いて出て行ってしまう。店を出たら俺の体じゃ追いかけられない。

「でも…そんにゃことしても」

「後悔するって君が言ったんでしょ!」

「…そ、そうだったにゃ。」

クロはぐったりと静かに微笑んだ気がした。

 いきよいよく飛び込む。水の波紋が包み込むようにして二つの体を吸収し、スクリーンが膜のように揺れ動いた。再び映画の世界へ入っていった。

 映画の音声が再開した。残された猫人間達は呆然と立ち尽くす。生きていた頃の記憶を思い出そうとしていた。それは愛情だったり、希望だったりとありきたりな言葉で、きっとかけがえのない大切なものだった。

 

 

 

夜の影帽子【19話】最初の別れ

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「それじゃ、また来るわね。」

 紙袋を片手にマダムはドアノブに手をかけ、こちらを見てにこりと笑った。彼女の過去を聞いただけで印象がまるで違って見えた。

「私がべらべら喋ったことはアリーには内緒よ。」

 彼女は口もとで指を立ていたずらに笑うけれど、内緒も何も死人に口なしなのだ。

「あ、マダム。もし良ければこれも持っていってくれませんか?」

ジャンは黒のとんがり帽子を取り出した。

「やだぁ、こんな帽子被ったらいかにも魔女になっちゃうじゃないの〜。」 

 冗談かと思っているようで疎ましそうに帽子を拒む。

「俺が作りました。実はまだ未完成なんです。」

「なら…なおさらじゃなくて?」眉をしかめて気色ばんだ。

「今からおまじないをかけます。」

  ジャンは手に持ったとんがり帽子を胸において祈るように目を閉じた。マダムは不思議そうに眺める。しばらくしてジャンは目を開けた。

「これで完成です。」

ジャンは帽子を渡した。

「どんな魔法をかけてくれたのかしら?」

「アリーが帰ってきたらこのとんがりが真っ直ぐ立ち上がるでしょう。」

マダムは上品に手の中で吹き出した。

「ウフフッ。やっぱりあなたの魔法って地味で冴えないけれど、なんだかアリーみたいに温かいのね。」

「冴えないは余計ですよマダム。これからもこのお店をよろしくお願いします。」

 意味がないのだ。帽子を渡したって、魔法をかけたって。現実は変わらない。けれど不思議と虚しくはならなかった。自分が満足できればこの世界はそれで構わないのだ。夢はフィクションのままでいいのだ。

「どうしたの?…そんな改まって。」

「たまにはペンを置いて、アリーの話し相手になってください。きっと喜びます。」

「もう!二人して同じこと頼まないでよ。…まるでお別れみたいじゃない!」

 マダムは子供みたいに口を膨らませた。その顔に写真に写った少女の面影を見た。

 アリーも同じことを言ったんだ。アリーごめん。その旅は徒労に終わってしまうんだ。一日でも早く帰って、お店を開いてくれ…。やっぱり俺には無理だったんだ。

「今まで、ありがとうございました。」

ジャンは深々とお辞儀をした。

 顔を上げてマダムの顔を見ると、彼女の戸惑う顔に徐々にノイズが走るように霞んでゆく。彼女はまだ何かぼやいているが、その声は視界とともに薄まり、ついに聞こえなくなった。どうやら最初のシーンが終わるらしい。光がじわじわと広がり始め、目の前を覆った。真っ白い視界の中でジャンは次にどうしたらいいか、何となく悟って一歩踏み出した。スクリーンから膜を破るように、にゅるりと体が抜け出てゆく。  


 そこは広い空間、CHINEMA HEAVEN。戻ってきてようやく二日酔いの体から解放された。黄泉の世界の方が痛みがなくてよっぽど楽だ。映写機から真正面に受ける人工的な光でジャンは眩しくなり、映画館内の様子がいまいち分からなかった。音声が徐々に聴こえてくる。やたらと騒々しいのはなぜだろうか?手で光を遮るとジャンは目の前に横たわる物体にようやく気づくことができた。逆光でもシルエットで分かったのはその光景に既視感があったからだ。

…クロが地面に倒れていた。

「クロ!!」

 ジャンが駆け寄った。初めて会った日のようにぐったりしている。よく見るとタバコで押し当てたような痕跡がいくつかあった。体中にひっかき傷もある。

「…おかえり。見てたよ。ほら、行ってよかったでしょ?」

クロは弱々しくか細い声で喋り始める。

「なにがあったの!?」

 

 

 

 


 

夜の影帽子【18話】北の魔女達

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「これも素敵ね。でもこっちの方がいいかしら。」

「どちらもすごくお似合いですよー」

 スクリーンに映し出されたのは影帽子のなかであった。店内の鏡の前でポージングしている女性は帽子選びに夢中であった。これはマダムステラが最後に来店した日だ。

「まさかこれが厳選して選んだシーンだって?」

 どう考えてもおかしい。二十年間特に変わりばえのない日々を送ってきた。ドラマチックと呼べるような最盛期も他の人生に比べてないのは間違いない。だからこそだ。自己ベストのハイライトを映せと思った。ジョーもアリーもいない、ついこの間の出来事ではないか。

「文句は言わないで欲しいのにゃ。」

「せめて早送りとかできないの?彼女はここからが長いんだ。」

 死んでなお彼女の買い物に付き合わされるのはごめんだ。ジャンはイスにもたれて肘掛に頬杖をついた。

「彼女に伝えたいことはにゃいの?」

「別にこれといって…。」

 アリーやジョーに早く会いたかった。マダムステラは数少ない信頼できる人間ではあるけれど、あの毒舌がいまいち好きになれない。

「実はこの女の人、もうすぐ病気にかかるんだ。」

 クロがこちらを見て伺っている。クロの目はスクリーンの光でビー玉のようにクリクリと輝いていた。

「本当に?」

「集大成を書き上げてるらしいにゃ。椅子に座り続けて腰を痛めて、動けなくなるにゃ…行ってあげにゃよ。後悔するよ?」

「でも俺が行ったところで…。」

「ならスキップするにゃ?」

「…わかった。行ってみるよ。」

 確かめたいことはあった。拳を握りイスから立ち上がると、何人かの猫人間が訝しげにこちらを見始めた。列の真ん中にいたので通路へ出るために横に並んだ後ろ足を避けながら、身をかがめて歩いた。

 スクリーンの目の前に堂々と立ったので何人かが野次を飛ばしたり、指差して笑っていた。ため息が出た。主演俳優に対してなんという侮辱だろうか?

 ジャンは凛とした態度でスクリーンの中へ片足を入れてみた。足先から水の中に入れたような波紋が出来て広がると向こうから不思議な力が働いていてズイズイ膜の中に吸い込まれていった。それは白い光の中に包まれたようだ。

 

 気がつくとそこは影帽子の店だった。

…ああ。これはもう始まってるのか。突然だった。さっきまで客観視して見ていた光景が、視界を変え、当時の匂い、音、手触り、五感全てを鮮明に蘇らせた。まぎれもなく現実世界そのものだ。映画館の中にいた事の方が夢だったのではないか?生き返った心地だった。死んだことを疑うほどの再現度の高さに驚嘆した。

 しかしなぜだろうか?体が気怠い。そういえばこの日は二日酔いだった。そんな感覚まで再現しなくても良いのに…。最近の記憶なのでジャンは明確な未来予想ができた。マダムはこの後また小言を言う。確か…

「あなたって女の人にすぐ騙されそうよね。気をつけなさいよ。」

「はい。…実にその通りです。」

 まったくだ。死の手前にこんな重要な忠告を流していたとは…。適当に相槌を打って貼りつけたスマイルの裏はいつもマダムを煙たがっていた。

「それにしてもあなたも大変ねぇ…。」

「何がでしょうか?」

ジャンはあのときと同じように応答した。

「アリー…まだ帰ってないんでしょう?」

 彼女は鏡の顔を見つめながら帽子に夢中、というよりもはや顔面に夢中であった。

「マダム…。」

「なにかしら?」

  ジャンの呼びかけを珍しく感じたのか、彼女はこちらを向いた。

「アリーがどこにいるのか…本当は知ってるんじゃないですか?」

 ジャンがそう聞くと、マダムは目を開いて凝視した。

「どうしてそう思うの?」

「こないだ…アリーの部屋を掃除してたら古い写真を見つけました。自分と同じくらいのの女の子が写ってて…」

 本来それを見つけたのはこの日の後だった。若かれし頃のアリーとマダムが姉妹のように肩を寄せて笑っていた。二人とも新品の黒マントと羽織り、とんがり帽子を被っていた。なにかの記念に撮られたのだろう。

「まぁ!それはきっと卒業式のときね。」

「そんな感じがします。部屋から持ってきましょうか?」

「結構よ…。沢山写真を持ってるもの。」

「知りませんでした。そんな昔からの仲だったこと…。だからアリーの行方を知ってるんじゃないかなって…。」

「あなたの前だと彼女、昔の話しをしたがらないものね…。いいわ…教えてあげる。ついでに私とアリーのこともね…。」

 マダムは帽子をマネキンに預けて店の椅子に座った。ジャンも彼女の向かいに腰掛け、テーブルで向かい合う。こうして改めて見ると彼女は綺麗な御婦人だ。写真の若かれしマダムも美少女であったが目の前の現像がこれはこれで熟した美しさを兼ね備えている。整った顔に深く刻まれた襞がそう思わせる気がした。

「私たちは北の山奥の小さな村で生まれ育ったの。私とアリーは親友だった…。もちろん今もそうなのだけれど。あの頃は毎日のように一緒にいて、お互いの部屋に入り浸ってたわ…。とても楽しかった。」

  アリーが北の出身だというのは聞いたことがあった。マダムとは幼なじみだったのか。

「写真でわかっちゃったと思うけれど私も元々は見習いの魔女だったの…。親友であり、お互い切磋琢磨し合うライバルでもあったわ。魔法を教え合っては唱えっこしてたのよ。」

「ある日、一度だけアリーをニワトリに変えてしまって戻せなくなったわ…結局魔法は解けたのだけど、向こうの両親がカンカンでね…。アリーはすごく楽しかったって今なんかは言ってくれるのだけれど、当時はしばらく気まずくなったりしてね。そのまま二人とも北の魔法学院に入学したの…。」

 おとぎ話のような魔法を当たり前のように使えた時代。つい数十年前までは世界は優秀な魔法使いに溢れていたのだ。

「アリーには才能があった。それまではアリーと私に魔力の差なんてないと思ってた。…けれどいつの間にかアリーはどんどん先へ進んでって、私が彼女の背中を追いかけてた…。その頃はお互いほとんど喋らなくなってしまったの…。進級してアリーは学院のトップに選ばれたわ。明るくて、優しかったから、周りの誰しもが彼女の事を好いてた。私は…とても嫉妬したわ。どんなに頑張っても全然追いつかなかった。」

「卒業が近づくと、その学院では最終試験が行われるの…合格者は西の都ジュリアナで国王付属魔術師の研修が受けられるのよ。当時は研修生になれただけで人生の勝ち組とまで言われてたわ。結局、あの時ほど必死になった事は人生でなかったわね…。

 そしてアリーも私も、二人とも受かった。発表直後、学校生活でまったく会話しなかった二人が、しがらみから開放されたようにお互い駆け寄って、泣いて抱き合ったわ。とても嬉しかった。

 卒業した後はアリーと一緒にジュリアナへ行くはずだった…。けれど…アリーは降りたの…。私はものすごく怒った。何度も何度も説得しに行ったわ。だってそれは彼女の夢だったんだもの。いつかジュリアナで一番の魔女になるって…。私に諦めた理由を話してくれなかったのが余計につらかった。その頃から彼女の顔がどんどん暗くなっていくように見えたの。

 私だけが研修を受けた。でも何故か全然身が入らなくて結局半ば途中で私も諦めてしまったの。もちろん周りからは大批判を浴びた。でも、わかってしまったの…私は…アリーがいなきゃダメなんだって。才能のない私がここまでやってこれたのはいつだってアリーの背中があったからだって。

 月日が流れて、私はこの街で結婚した。女として幸せを手にしたの…ちょうどその時、物書きを始めたら、すごい勢いで本が売れてしまったのよ。どうやら魔法の杖よりペンを握ってるほうがよかったみたいね…。」

 マダムの新作をアリーは毎回楽しみにしていた。アリーはいつも嬉しそうにページをめくり、部屋の本棚に誇らしげに立てかけては並べていった。

「ある日、魔女が運営する帽子屋があるって噂を聞いたわ…。アリーだった。彼女は魔法よりも帽子作りに夢中になってたわ…。もちろん最初は呆れてしまったけれど、久しぶりの再開をしたとき、この場所で二人ともすごく笑ったのを覚えてるわ。だって学院最高の魔女に選ばれた二人が、二人してまったく別の仕事をしてるんですもの…。

 アリーは今でも夢を諦めた理由を話してくれないの…。でも私からそれを聞くのはもう野暮な気がする。いつか笑って話してくれる日が来るのを待ってる。もしかしたら彼女には何か大きな責任があるのかもしれないし…。」

 マダムは思い老けた顔をして間を空けた。それからはっとしてジャンの方を見た。

「あら、私ったら今日はやけに喋っちゃったわ…。不思議ね。こんな事滅多に話さないのに…。あなたが知りたいのは今アリーがどこにいるかよね?」

「…お二人にそんな過去が。」

  ジャンは魔女の懐旧談の余韻に浸り、アリーのことを想った。彼女のことを何も知らなかった。知ろうともしなかった。夢を諦めてこの帽子屋を始めた。どうして諦めなくてはならなかったのだろうか?

「たとえ才能があってもやめてしまえばそこでお終いなの。逆に…どんなに才能がなくても続けていれば何かが変わったかもしれないわ…本を書き始めて気づいたの。後者の私はそれすら出来なかった。アリーがいなければなんてただの幼い言い訳。私だって本当は…」

 マダムは自身を憐むように言った。静かに手元を見下ろして薬指のリングを撫でた。

「ほんの少しの決断で人生はまったく別のものになる。けれど私は、今の幸せを考えると…何一つ間違ってたなんて思えないわ。なるようになったのよ。…大事なのはあなた自身で決めたかどうかなの。」

 彼女はまっすぐな目でこちらを見つめた。

「アリーは東の国アルカホールへ向かったわ。あなたの病気を治す手がかりが見つかったのよ。」

 ジャンは首を傾げた。アルカホール。リリィの国だ。そこは太陽の国だと聞いた。この病気を治す調合があるのだろうか?

「どうして…そんな遠いところへ。」

「決まってるじゃない?あなたを愛してるからよ。」

  予想外の返答にジャンは言葉をなくした。

「アリーね、あなたが来てからはなんだかすごく楽しそうなのよ。子供ができたみたいで大変とか言いながら、顔はずっと生き生きとしてるの。」

 居候の弟子。そう思われていると思っていた。血の繋がっていない他人。ましてや俺は悪魔だ。衣食住を保証してくれたのは等価交換として契約し、それなりに仕事を手伝っているからだと…。馬鹿だ。それで生活が成り立つわけがない。見ず知らずの子供を家に迎え入れ、温かいご飯を毎日作り、寝かしつけてくれた。初めて自分の部屋をもらった。本を読み聞かせてくれた。病気の時はタオルを何度も交換してくれた。沢山の魔法を教えてくれた。ずっと見守っていてくれた。

 大切なはずの当たり前の日常が溢れ出てくるように思い起こされた。慈愛に満ち溢れていたあの日常こそ奇跡体験だったのではないか!

 思春期を迎えたあたりからアリーに煩わしさを感じ、お互い店にいる時の会話も少なくなっていた。今さらになって思い出した。俺は…愛されていたのかもしれない。

 

「あなた…愛されてるのよ。」

 

 

 

夜の影帽子【17話】素晴らしき哉、人生!

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 ああ。本当に死んでしまったのだ。

「いまから始まる映画ですが、実はただ映像を流すだけではありません。」

「どういうこと?」

「あなた自身が過去の映像の中へ飛び込み、あなたの視点でもう一度その場面を追体験することができるのです。」

 クロが背を向けて説明している。それはまぎれなくクロが喋っているはずだが…さっき瞳孔が細まった時のような口調に戻った。何かに憑依されたかのようだった。

「それを追体験してどうするの?過去の事実は変わらないんでしょ?」

「その通り。これはお客様が少しでも未練なく逝けるように考案された新しいシステムです。あの時こうしていればよかった、ああ言えばよかった。思い当たる事は少なからずあるでしょう。お世話になった人に感謝するもよし、好き放題に罪を犯しても誰も傷つくことはありません。」

 感謝したい人物は一人しかいない。母親同然に育ててくれたアリー。彼女に会う事ができたならそれが自己満足だったとしても感謝を伝えたい。

「ジョー。これが終わったら君のところにいくよ。」

「余興として最初にスライドジョーをお送りします。映像本編はあなたに必要とされるシーンを抜粋して流します。まぁあなたの場合ですとイレギュラーが発生しそうですが…。」

「自分で選べないの?」

「あなたには知らなければならない事があるのです。事実は変えられませんが、過去から学び未来へ生かせる事がスクリーンの中にあるはずです。真実を見つけるのです。」

「未来?もう死んでいるのに?」

「言ったでしょう?ここはまだ天国でも地獄でもないのです。あなたは今……ですよ?」

 大事なところがよく聞こえなかった。クロは何と言ったんだ?そもそも膝の上で背を向けてさっきから話しているのは本当にクロなのだろうか?別の誰かが代弁しているような気がして仕方がない。

「なぁ?今なんて、」

 すると隣の席のスーツを着た猫人間がこちらを見た。顔のシワを寄せシッ!と爪の生えた指を口元に立てた。どうやら始まらしい。

 スクリーンの中央に大きくポップな字体で「MY WAY」と映りゆったりした音楽が流れ始めた。男性の低音の歌声が伴奏に乗った。これはジャズバラードだろうか?叙情的で切ない。

 画面の真ん中にジャンの名前、誕生と月日が映し出された。

1924年3月8日 ジャン・フランクリン出生>

 曲のテンポに合わせ、スクリーン画面全面に映し出されたのは、白い布の上で泣きじゃくっている赤ん坊の写真。あんな小さくて真っ赤な生物が自分だととても思えなかった。

<1925年1月23日 初めて立ち上がる>

 椅子の背もたれにつかまり立ちしている自分がいる。あれは誰の家なのだろうか?

<1928年11月28日 教会で置き去りにされる>

 どこかの教会の前で一人指を加えて誰かを待っているようだった。そうだ。俺は捨てられたんだ。母親の顔は全く思い出せない。

<1930年7月8日 地下水路に住み着く>

 おそらく教会から逃げ出したんだ。夜道を小さな体で走って走ってジュリアナの街にたどり着いてあの場所を見つけた。薄暗く汚い。画面の中からでも臭ってきそうだが、どこか懐かしくなる。

<1931年4月1日 魔女アリーの弟子になる>

 影帽子に居候を始めた。人生が変わった瞬間だった。アリーが幼いジャンの顔をタオルで拭いている写真だった。ここからは思い出せる。地下水路以前の記憶は無意識に忘れようとしていたのかもしれない。

<1932年10月5日 悪魔だと知る>

 観客席が一斉にOhーとわざとらしく残念がった煽りが入った。

 見慣れた洗面台の前で少年が立っていた。鏡に写っているジャンの瞳は赤く、真っ赤な涙を流していた。きっかけは覚えていないが、感情が極端に高まって初めて悪魔の顔を見て、絶望したのだ。この後にアリーが優しく抱きしめてくれた。

<1934年4月11日 初めて魔法が出る>

 アリーから必死に教わってようやく出せるようになった魔法は花を散らせる魔法だった。なんと演技の悪い魔法だろうか…。

<1935年8月13日 太陽に殺されかける>

<1936年6月5日 初めて人間の生血を飲む>

<1937年8月28日   帽子を作り始める>

<1937年12月4日  魔法が出なくなる>

<1937年……

 夭折したうえに生涯のほとんどを影帽子で暮らしたきた。監督は明らかなエンターテイメント不足に痺れを切らし、他の人間では流さないのような細かい描写、初体験、とうとう醜態までも流し始める。もはや悪意しか感じない。何故一人で見させてくれないのだ?他の得体の知れない生物と肩を並べて自分の人生を振り返らなければならないのがたまらなく不快だった。

 曲が壮大に盛り上がっていきた。音楽は最高なのにそれに全く伴ってない。

<1939年7月9日 初めて自慰行為をする>

(おい。嘘だろ…。)

すでにクスクスと笑う声が聞こえて来る。

(ちょっ!!待て待て待て待て待て待て!!!)

 ベッドで寝そべるジャンの姿がデカデカと映し出された。

(やめろぉぉぉぉぉぉーーー!!!!)

会場がドカンと爆笑。最悪だ。

(何が面白い!?オスとして当然だろうが!!ジョーに会う前に監督を殴ってやる!)

 

「あ…。もしかしてあれも出るのか…。」

 突然に、ある一文と写真が流れ始めると観客席が気味が悪いほどに静かになった。まぁ、当然のリアクションではあるが…。

 猫人間達はこの世界の生き物なのだろうが、何を思ってこの映画を見に来たのだろうか?

 いよいよラストが近づいていた。最後の一文がきっと死因なのだ。


<1945年9日22日  初恋をする>


 リリィと二人で並んだ顔が映った。ついさっきの出来事だ。彼女の笑顔その下に隠れていた殺意に気がつかなかった。どうして騙されてしまったのだろうか?答えは単純だ。…馬鹿だからだ。世間知らずだったのは俺の方だった。運が悪かった。初めて恋をした相手がサイコキラー悪魔狩りだったのだ。これから流れる映像に本当に入り込めたとして、もしそれがリリィと出会う瞬間だとしたら、藪蛇を避けるよりも、まだ俺を見つけていない奴を背後から殺してやる。たとえ神様の評価が下がったとしても…。

 何故か最後の写真はそれで終わった。死没と死因を書かないのは制作側のこちらに対する配慮なのだろうか?…いや、配慮など微塵もあるものか!監督は誰だ!?

「さぁ。ここから本編になります。あなたの好きなタイミングであのスクリーンへ飛び込んでください。他の観客から野次が飛びますが、気にせずに入り込んでください。」

「こいつらは一体、なんなの?」

「この世界の住人です。あなたが悪魔の魔法使いと聞いてこぞって観にこられたのでしょう。」

「他人の人生を娯楽だと思ってるのか…。」

 人生は映画のようだ。とどこかの冒険家が言った。あなたのように格好良い生き様なら、さぞ誇れる映画作品になっただろうに。

 するとクロがぶるっと膝の上で身震いして、ようやくこちらを振り向いた。どこかしょんぼりとしている。やはり誰かと切り替わっていたらしい。…神様だろうか?

「僕にはやっぱり無理だったんだにゃ。あんにゃい役なんて…。」

「さっきから誰になってたの?」

「にゃ!?気付いてしまったにゃ!?」

「バレバレだよ!」

「天使様にゃ…。」

  ジャンはため息が出た。いよいよ天使のお出ましか…。悪魔のことを相当嫌っているらしい。