夜の影帽子【21話】ミラとクロ
再び同じ日の影帽子の中へ戻ってきた。ありがたいことに二日酔いは薄れていた。視界が捉えたのはミラだった。彼女は怯えた表情で後退りしている。今に出て行こうとしている雰囲気だった。
「にゃぁぁ。」
引き止めようした瞬間に目の前の黒い骸からか細い鳴き声がした。どうやらクロも自分の肉体に入れたようだった。
「クロ!!」
ミラは駆け寄ってクロを抱きしめた。抱擁にすがれる力は見るからに無く、どうやら顔しか動かせないようだ。大粒の涙を流しながらごめんね。ごめんねとクロを優しく包み込む。このままだとぬか喜びさせてしまう。
「ミラ…。クロはお別れを言いに来たんだ。今から俺がクロの言葉を伝えるからね。」
しゅわくちゃな泣き顔でジャンを見上げた。驚いてる様子だった。昨日見た顔のはずなのにもうだいぶ昔のことのように思える。
「やだ、お別れなんてしたくない!したくないよ!!」とぶんぶんと首を横に振った。
「ミラ…これは最後の時間なんだ。クロの言葉をしっかり聞こう?」
何度も大きく鼻をすすり、顔を真っ赤にしていた。ジャンの方をゆっくり見て、まだ何か言いたげそうにコクンとうなずいた。顎先から涙が落ちる。
「クロ…喋っていいよ。」ジャンは話しかけた。
クロは喋る。それはジャンの声だが確かにミラには、聞き慣れた鳴き声が人間の言葉になって喋りかけているように感じた。
「ご主人様…。ご主人様…。」
「あの日、僕を水から救いあげてくれてありがとう。」
「温かいお家に入れてくれてありがとう。」
「温かい毛布に包んでくれてありがとう。」
「ご主人様が作ったミルクは熱かったけど、すごく美味しかった。」
「一緒に寝てくれてありがとう。」
「…たくさん遊んでくれてありがとう。」
「僕は…とても…とても幸せでした。」
ミラはクロの体を何度も撫で、すすり泣いている。
「クロ…!一人はいやだよ!寂しいよ…!クロ…いかないでよぉ!」
ミラはクロに顔を埋めるように抱き寄せた。堰が切れるのを堪えジャンは間を持つ。
「これからも…ずっとそばにいるからね。」
クロは愛でるような眼差しをミラに送り、優しく微笑んだ。やがてジャンの方を見た。
『どうやら僕、もう行けるみたい。』
「えっと…天国に?」
『うん。ようやく終わった。短い時間だったけどジャンといれて楽しかった…にゃ。』
「…よかったね。…語尾はもういいって。」
クロは安らかに微笑んだ。
『僕のためにあんなに必死に怒ってくれて、ちょっと嬉しかった。もしも生まれ変わることができたら、今度は君の所へ行きたいな。』
「なに言ってんのさ。俺だってもうすぐそっちにいくんだよ?」
『あれ?あー。そうか…聞こえてにゃかったんだね。ジャン…君は生きてるよ。』
「…え?」
宣告にジャンは耳を疑った。今さら生きていると言われたところで信じられるわけがない。
『最初は僕も死んでると思ってたんだけど、さっき天使様が僕の口でそう言ったんだよ?』
「いや、だってここは……。」
殺されたはずだ。港で燃えたはずだ。天使とやらが言った言葉は確かに聞き取れなかったが生きていると?それならどうして黄泉の世界なんかに来てるんだ。
『とは言っても…瀬戸際にゃ。もうすぐこの世界も崩壊しかける。』
「じゃあ俺、一体何のために…。」
『運命を変えるんだ。ジャンならそれができる。なぜなら君はこの街で…』
ノイズが急激な速さで走る。白い光が広がり、クロとミラが遠くなり始め目の前が真っ白に染まった。去り際のクロの言葉だけはっきりと聞き取れた。
『君はこの街で一番の魔法使いだからね。』