今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

夜の影帽子【9話】いらっしゃいませ。

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 帽子屋の営業を終えたジャンは店の閉め作業をした。道具やゴミで散らばった作業台の上を一掃して水拭きのフキンで拭いた。まじない屋の営業を始める前に夕食を済ませなくてはならなかった。いつもは上にあがってリビングでアリーと食卓を囲むが、誰もいないならどこで食べようと関係なかった。今日はなんとなく一階で食べたかった。

 作業台の上に並べた皿はどんな高級な料理を置いてもひどく殺風景に見えるだろう。ミシンの隣に炒めた鶏肉、裁縫箱の上にパンとチーズ、適当に魚のダシと調味料を加え煮た粗末な野菜スープの湯気がランプに照らされて舞い上がる埃に見えなくもなかった。毎日パスタをすすっていた一人の食卓には今日はこれでもまだ豪華な方だ。

 物に囲まれて少し新鮮な気持ちになった。アリーがいたら行儀が悪いと怒られているだろう。けれど聞いてくれ。二階のテーブルは広すぎて食欲は満たせても孤独は埋めてくれないのだ。

 食事を済ませて、食器を洗い。時間がくるまで本を読んだ。この小説も読むのは何回目だろうか?本を読んでいるうちにウトウトしだすが、その頃にまじない屋の営業時間が始まる。まじない屋が始まるからと言って特に準備することはない。店の床とトイレだけは常にきれいにしておくこと。それだけはアリーに言いつけられていた。

 昔はよく開店前にも魔法薬を作ったものだが、それを求めて来る客は徐々に途絶えていた。今夜もゆっくり夜の流れに身を委ねて客を待つとしよう。ジョーは、今日こそ現れるだろうか?

 夜の影帽子の灯りが灯った。ジャンは知る人ぞ知る店のままにしたくないという彼なりの理想があった。看板を新しく「なんでもご相談 まじない屋」と書いてドアの前に立てかけていた。

 
 近所のロックが髭を生やしたいと言ったので首の辺りまで伸ばしてあげた。
「あとはご自分で切って調節して下さい。効果は半月くらいですね。」


 二丁目のトキ婆さんが大事な皿を割ってしまったというので直してあげた。
「壊れてしまった物は本当は元に戻りませんので何年かしたらまた崩れてしまいますが、金継ぎよりも綺麗に、修理よりも安価に元どおりにしました。ご満足いただけましたでしょうか?」

 

 嵐の前日に港の漁師が明日を晴れにしてくれと言ったのでそれは無理だと断った。漁師は悪態をつき出て行った。
「私もお客様も神様ではないのでお引き取りくださーい。(悪魔ですけど…。)」

 

 三丁目のジュディエットが明日の初デートのために胸を大きくしたいと言ったので大きくした。
「明日の夜までの効果になります。え?朝までですか?ならもう少し膨らませましょうか…」


ジュディエットの直後にロデオが明日の初デートのために性器を大きくしたいと言ったので大きくした。
「明日の夜までの効果になります。え?また朝までですか?ならもう少し伸ばしましょうか。」

(そういえばここ最近ぺぺ爺さんは来なくなったな。)

 思いの外看板の効果は大きかったようで、新規の客が今までとは微々たる変化ではあったが少しずつ増えていき、帽子屋の利益とトントンになる日もあった。アリーがいた頃より遥かに帽子屋の売り上げが下がってそれにただ追いついただけだが、自分一人の魔法の力で稼げる事にジャンは喜びを見出した。もちろんこんな辺鄙な場所にまじない屋と書かれているからといって誰もが目的があって来るわけではなく、ほとんどがおそるおそるドアを開けては冷やかしだったりする。ある時は修理、ある時は癒し、ある時はただ話しを聞いたり、お客は何かしらの改善を求めてやってきた。ほとんど便利屋ではあったが、魔法で解決できる用件に答えられたとき、彼らが満足気に帰っていくのはやはり嬉しかったし、自信にもつながった。

 街の片隅で、店はほんの少しだけ評判になった。そして今夜もドアが開く。

「いらっしゃませ。…ってあれ?ミラ!」

 そこに立っていたのはミラとその母親らしき女性だった。ミラは母親の後ろにやや下がって少し恥ずかしそうだった。夜を背景に店に現れたミラはどこか新鮮で、母親の手を握るその姿はどこか不安げな様子だった。

「こんばんわ。」

 ジャンは改まっておそるおそる母親に会釈した。母親の目はつり上がっていて、ご機嫌斜めだということはすぐわかった。どうやら今夜の客はクレーマーらしい。

「こんばんわ。言いたいことはわかるかしら?」

丁寧な口調は確実に怒気を孕んでいた。

「ミラの学校のことですか?」

「まず魔法をやめさせてください!!」

 噴火は案外早かった。母親が来ること自体はどことなくミラの話しで察しがついていた。そしてヒステリックであることも。

「自分は彼女に何も強要しておりません。本人に学びたい意思があるからそれを尊重しているだけです。」

「この子はね!天才なの!学校でも元々一番の成績で、こんなところで油を売っている時間はないのよ!」

娘に似て威勢がいいのは分かったがこんなところとは心外だ。

「それは私にもわかります。彼女はとても優秀ですから。」

 そう言った途端、母親の後ろでミラが静かに吹き出した。おそらくジャンが誠実さを装い敬語を使って、一人称を「私」と言っている違和感が面白かったのだろう。

【何笑ってんだ!こっちはミラのために話してんだぞ!】

 カラスに伝える時のテレパシーの魔法をミラに放った。人間に使ったのは初めてだ。ミラは母親の背後でニヤニヤしながらピースを作りこちらに向けた。意味がわからん。これは伝わったのか?

「さっきから何なんですか!いいですか!?あなたの方からこの子に説得してください!」 

 ジャンは母親に向き直った。今この場でこの母親を論破する度胸も言葉も見当たらない。おそらく自分はこのままおとなしく了承するだろう。しかし…

「今夜は月が綺麗ですね…奥さん。」

「はぁ?」

 何を言ってるんだと眉を潜め母親は突然の話のすり替えに呆れ果てた様子だった。

 ジャンは机の下で指をパチンッと鳴らした。すると店内は甘い香りに包まれ、桃色の霧状のようなものが母親の鼻の中にゆっくり入っていった。それは母親には見えていない。ジャンとミラだけが目視できた。

「はぁ…。」

 母親の顔はうっとりとしていた。目はうつろに、口は閉じずに肩を緩めて立ち尽くした。ここで難しいのは彼女自身が魔法にかけられたと自覚しない程度にすぐに魔法を解くこと。ジャンは再び指を鳴らした。すると霧は消え匂いも消えた。母親の怒りは静まり、心が温まったように優しい気持ちに包まれた。

(ちょっとやり過ぎただろうか?調節が難しい。)

  母親の顔は綻び始め、徐々に目尻が上がり、口元が緩まって今にもよだれが垂れそうだった。さっきのつり目だった母親からは想像もできないような顔立ちに変化した。

 これは初めてジャンが考案したオリジナルの魔法であった。「月が綺麗ですね」をきっかけに花の香りを放ち相手の脳神経の緊張を解くことができる。少量ならリラックス効果が期待できるが、過度な使用は媚薬級の口説き文句と変わらなかった。

「今、紅茶を入れてきます。どうぞそちらに座ってお待ち下さい。」

「…はい♡」

 まるで別人のように変わった母親を見てミラは戸惑った。表情は実に穏やかなのに家で見る母の優しい顔つきとは違う、一人の別の女の顔をしていた。あの魔法で変えられてしまったと気づいた。

 母親は静かに腰を下ろしキッチンへ向かうジャンの背中をほの字でうっとり眺めていた。ミラはジャンを追いかけた。

「何したの!?ジャン!」

「少し落ちつせただけだよ?あれくらいしないと話し合いにならないから。まぁしばらくお母さんは俺に夢中だけどね!あははは。」

 ジャンはコップに茶葉を置き始めた。お湯が沸騰してゆく高い音が徐々にミラの感情を膨らませて入った。

「ジャンのバカ!!大っ嫌い…!!!」

 ミラは叫び、泣きながら駆け足で下に降りた。ヤカンからお湯がこぼれ出してジャンは慌てて火を止めた。突然のミラの咆哮に驚いた。

「急になんなんだよ。お前のためだろうが…。」

 下からドアが閉まる音が聞こえた。おそらくもう魔法の余韻もなくなり母親は通常の状態に戻ったはずだ。

 テレパシーの魔法の効果はまだ少し続いていてミラの泣いた声が、逆にジャンにはっきりと伝わってきた。

【(お母さん帰ろう?こんな所もう二度とこない!…魔法なんてもうやらない!!)】