今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

砂の中から

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 殺伐とした平日の新宿駅の構内は往来どころか四方八方に行き交い、ぶつかりそうな人は眉根を寄せてすれ違うと、マスクの下で舌を鳴らしたに違いなかった。あの改札の流れを止めさえすれば、ビタッと渋滞が作られて注目を浴びる。僕が颯爽と身を引くとなにかの製造工場のローラーが再び回り出したみたいだった。

 そういえば定期が切れていたのだった。弾かれた異物はチャージのために引き返す。

 一日372万人が早送りで行き急ぐ異質な空間で、自分のアイデンティティを振り返るのも野暮で、マイノリティなどを考えると息が詰まりそうになる。僕の卑屈な価値観は鉄の動脈が流れる低い天井と人の流れに逃げ場を無くして追いやられ、全てを陳腐に変えてしまう気がした。

 社会の歯車がどうとかを歌った若手バンドマンならまだよかった。尖っていられるなら羨ましいくらいだ。僕の視界の隅にはいつも「諦め」が泳いでいた。

「どこか遠くへ行ってしまおうか。」 

 それは視野を広げようとする試みか、ただの逃避行かはどうでもいい。ふと、ここではないどこか知らない場所へ行ってしまいたいと思ったのだった。「案ずるは生むが如し」という誰かの言葉を背に僕は決めた。


 広大な砂漠の景色に僕は立ち尽くした。空と砂のコントラストは弱った視力でさえも鮮明に映す。日本海の豪音が砂風に運ばれて、広大な自然の破壊力を物語った。その唸り声は巨人の住処を連想させた。

 裸足で歩きだす。大きな砂山に近づくにつれて陽が照り返し、徐々に見事な上り坂になるといよいよ転びそうになってくる。足が踏みこむ午前の砂場は陽当たりで温かく、沈むと冷たく感じた。

 砂の坂道を登りながら見上げる青空は絵の具のチューブから出した単色をそのまま広げたみたいに混じり気のないただの青だった。

 先人達の軌跡を横目に新たな足跡を作ると、汚してしまった感覚が芽生えてくるほど全てが真っさらな表面に覆われていた。前方の旅人達はキャッキャと履き物を片手に、はしゃいで登っている。一人の女性は坂の途中でお洒落なサンダルを砂の上に置いてカメラを構え始めた。宣伝写真が簡単に作れそうなほどにいくらでも映えるのだった。

 頂上を目指しながら重い足の上げ下げを繰り返す。砂はただそこにあって、足の自由を悪意を持って阻害しているわけではないけれど、それでも僅かな距離も、息が切れるほどにもつれた。人々が立ち尽くすあの頂きの景色はさぞ感銘を受けるのだと期待を胸に登り続けた。

 そこで見たのは青をはっきりと区分けする水平線だった。山の足元は波が凄まじく、弾ける度に三角の映画会社の文字が頭に浮かんでしまう。音を増した風がひたすら耳元で唸り続けた。

 子供の頃に公園の小さな砂場で作り上げた山の頂上に大人になった僕が立っている気がした。旗を立てる代わりにスマホを横にして記念写真を撮り続ける。高いところから望む左右の沿岸の景色も美しく、日本列島の線を歪に型どっていた。

 陸に向けて無数の白い兎が飛び跳ねているようにも見えて、たどり着いた途端にあぶくと化して消えてしまった。意外と砂の頂きの景色があっけなく感じたのはハードルを上げすぎたせいだろう。期待以上の感銘は受けなかった。それよりも道中、激しい勾配から見上げる上空の青が海よりも遥かに輝いて見えた。僕にとってよっぽど美しい澄み切った青だ。

 過程が一番楽しかったりするのだろうか?

それは過ぎ去りし今だからこそ思うのであって、人間は未来がきっと良くなるものだと思っては現状に感謝も満足もしない。それではいけないが、希望だけは絶やしてはならないのだ。

 孤独な逃避行に無理矢理にでも意味を見出そうとする悪い癖が始まった。何も考えなくていいじゃないか。どれだけ自分にお土産が欲しいのだろうか。僕は人生とやらを浅ましくも悟ろうとする。安直に思えるけれど、あの時、確かにそう感じた。

 歩いて、歩いて、歩き続けた。風が同じ方角から絶え間なく吹いた。喉が渇いて水を飲もうとしたら、ペットボトルが勝手に口笛を吹きだすのが愉快だった。呼応するように足元に埋まった乾燥した貝殻が砂粒に当たってカラカラと綺麗な音を立てた。僕はといえば不定期にだらしなく鼻を啜るのだった。