今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

明太子を盗まれた。

 表参道に連なる、綺麗に磨かれたショーウィンドウ。僕は歩きながら横目にちらちら気にしていた。店内のナイキシューズや、ブランドのバッグなどでなく。窓に映った自分の髪型だった。

 気持ちが雲に覆われた。大したことではなく。ほんの些細な話しだこれは…。店に入る前と後で快晴の空にまばらの雲がかかったようだった。

 美容室の鏡の前に座るとほんの少しかっこよく見えて今の髪を切るのが惜しくなる。それは髪の毛先による最後の抵抗か、もしくは鏡に映ったものにナルシズムをかける不思議な魔法がかかっているのか…。少なくとも自分は後者だと思っていた。しかし今日はどうだ?まるで顔が死んでおる。家の洗面台もここまでひどくはない。ましてや美容室の鏡とは人の顔を二割増してかっこよく、可愛く写すはずである。どうやら今日は特別らしい。

 話は変わるが、鏡といえば、「人はみんな鏡だから」という誰かの歌詞を思い出す。類は友を呼ぶように、その人の感情を写すように他人も変わるのかなぁと僕はぼんやり解釈している。僕が常日頃から怒っていれば、嫌な相手が現れたりするし、僕がいつも笑えばその人もよく笑ったりする。最近、どうだろうか?笑っているだろうか?

 彼は最初から愛想がなかった。きっと僕の顔が死んでいるからだ。

 

 今日は久しぶりに美容室に行く。髪はありがたいことに生えてくる。一ヶ月に一度はちゃんと散髪したいのだ。歳を取るにつれて二ヶ月、三ヶ月と期間だけ伸びて髪は伸びないのはごめんなのです。

 エレベーターを開けて早々に担当する美容師さんと対面する。合言葉のように予約した○○と言い、カードを渡す。イケメンホストのような美容師さんだ。

 かけてお待ち下さいと言われて待つ。この時点で初めて切ってもらう人だというのがわかる。この店は以前、よく来ていた。

 鏡台に案内された。バーバーチェアを向けられて座った。無言でクロスを差し出されて手を通す。今日はどんな感じで〜の常套句から、髪の要望を伝える。ここまではまぁいつもの流れなのだが…

 なんだろう。なぜか鼻についてしまう。この文章を見るだけだと自分は陰湿で嫌な人間に思えてしまう。彼は何も悪くない。悪意などないし、あれが普段の彼による自然な立ち振る舞いなのだ。

 シャンプーカットで3000円。カットが雑でも大丈夫。出来に大満足しなくても大丈夫。…だと思っていたのに、どうしてこうも気持ちが快くないのだろう。おそらく今までの同じ店で働く美容師さんの対応が良すぎて比較してしまうのだ。だってほら!向こうのバーバーチェアはあんなに楽しそうに。あの盛り上がりはまるでガールズバーではないか?素敵な接客で客の男が舞い上がってしまってる。良くないぞ(?)うらやましくなど…ない!そういうお店行ったことないけど!行ったことないけど!!

 僕の背後の寡黙な彼が値段として一番ちょうどいいのだ。ましてや本日は土曜の10時、これから忙しくなる日の一番最初の客なのだ。そりゃ向こうに笑顔がなくてもわかる気がする!……昨日見た映画の床屋だって無愛想だった。

「前髪は残したいんですか〜?」

「ん」の一文字が中に割り込むだけでこうも印象が変わるのだ。前髪を残すことにちょっとしたマイノリティを感じてしまうではないか…。

 コロナの対策か目の前の台には雑誌などは置かれていない。そうなると僕は鏡を真正面に捉えることとなる。目のやり場に困る。散々見飽きた死んだような目と睨めっこしたくないし、だからといって美容師さんと目を合わせると気まずいので目を閉じた。…寝てないけど、寝ていた気分だった。

 目を開けると、後頭部に三面鏡が広がっている。刈り上げを確認できた。…出来よし!なんだほら!やはり腕がいいのだ。古き良きラーメン屋の店主と同じではないか!

 そのあとはシャンプーをしてもらった。お湯加減は聞かれなかったが、力加減は聞いてくれたのだから全然いい!ぬるかったけどかまわないさ!

 美容室はシャンプーの後、タオルで髪を拭いた流れでさりげなく耳の中にタオルを押し込まれるのだが、いつもあの瞬間は緊張する。白いタオルに耳垢がついていたらと思うと今夜も眠れない!

彼はドライヤーをかけ始める。

 

「……ますか?」

「あ、はい!お願いします!」

 今、聞かれたのは「ワックスはおつけしますか?」だと勝手に思い込んでいた。次の工程をなんとなく予想してたから咄嗟にそう答えてしまった。


「飛んじゃうよ!」

 しかしそれはマスクだった。怒られた。鏡台の上にマスクを置いていたからドライヤーの風でそれは簡単に揺らいで下に落ちそうだった。彼はおそらく「マスク取れますか?」とでも言ってくれたのだろう。マスクとワックスを聴き間違えたのだ。ドライヤーの最中とはいえやはり自分の耳は人の話しを聞くのに向いていない。早とちりをした。

「マスク取れますか?」

「あ、はい!お願いします。」

まるでアホのやり取りだ。自分が悪い。この辺りからタメ語で話しかけられ始めた。


「今日はこれからどっか行くの〜?」

出たなその質問。僕は答える。

「えっと…記念館に。あ、美術館に行ってきます。」

「へーどこの?」

「あの青山?にある岡本太郎記念館です。」

「あーはいはい。一人で?」

「あ、いえ、あの…友達と二人です。」

   僕は本当にくだらない人間だと思う。予定があるのは本当だ。行き先も本当だ。しかし一人で行くのにほんの少し後ろめたさを感じてしまった。見栄にもならない咄嗟の嘘をついてしまったのだ。誰とも待ち合わせなどしていない。もう何千回と一人で出かけているのにもかかわらず、ここでも世間を意識してしまった。いや、単に寂しい奴だと思われたくなかったのだ。

 支払いをして店を出た。頭は風通しがいいのに、気持ちに覆いかぶさった髪の毛が払われることはなかった。ドライヤーをぜひもう一度かけて欲しい。


 対峙する目の中に立って悶えた。

「ああ。ずっとこうしていたいなぁ。」

太郎さんは言ってくれた。

「弱くていい、独りでいい、孤独と戦うのが芸術だ。」

「ありがとうございます。」

 こうやって僕は罠にかかる。たとえ周囲から危険な橋に見えても、僕からしたらそれは紛れもない希望なのだ。


 土曜の夜くらい酒のつまみは贅沢をしようと明太子を買った。帰りの電車で「レジ袋大丈夫です」と言ったトートバッグの中から仰向けで僕を見つめる愛しい我が子。明太子。

 僕は電車の中で特にすることもなく。空想にふける。もしもこの明太子が盗まれたとしたらどうしよう。僕はものすごく怒る。血眼の形相で後方車両から先頭車両にかけて犯人を探しまわり、見つけ次第追いかけ回す。


 犯人は逃走して停車駅で降りる。ドアが閉まりそうな間一髪を逃げ切るのだが、すかさず僕は閉まるドアに顔を挟んで、叫ぶ。犯人は明太子を片手に振り返り、ホームから怯えた表情で僕をみるのだ。

 シャイニングのジャックニコルソン並の演技力で狂気の笑顔を作り、こう言う。

「俺の明太子を、返せぇぇぇぇぇ!!!」


 ガタンゴトンと電車が音を立てる。妄想から帰ってきた後に見た景色は最寄駅の手前だった。素晴らしい。最高の時間潰しだ。これが無料だなんて…。24年間そうしてきた。


 コンビニで冷えたビールを買って帰る。正確には発泡酒だが、まぁビールと言えばそうなのだ。コンビニの鏡と目があった。そういえば今日は髪を切ったのだった。すっかり忘れていた。

 帰り道に空を見上げた。星空の見えないこの街でも雲がかからなければ十分に綺麗な夜空だった。