夜の影帽子【23話】童話の真実
「おしまい。おしまい。」
アリーは本を閉じて。こちらに優しく微笑んだ。
「さぁ坊や。もうお休みなさい。」
「アリー…。」
掛け布団をジャンの肩までかぶせ、額に優しく手を重ねた。
「なぁに?」
ラストシーンだ。映画館に戻ったジャンに天から降り注ぐように声が聞こえた。それは通告次で最後だと言う通告だった。
ここは見慣れた寝室の中。自分はおそらく九歳の体でベッドの中で横たわっている。やけに全てが大きく見えた。
幼い頃、アリーが寝かしつけてくれた。まだ自分が悪魔であることも自覚していなかった。毎晩こうして枕元でおとぎ話を読み聞かせてくれた。
久しぶりの再開に望郷の念がかられた。アリーの顔は最後に見たときよりもはるかに若々しいけれど、この時、影帽子の経営が安定していなかった上に、コブまでついてしまった。彼女は美しも儚く、まるで未亡人のようにやつれ切っているのがわかった。
「アリーはどうして影帽子を始めたの?」
「あら…どうしたの急に?」
「アリーのことを知りたいんだ。」
「帽子が大好きだからよ。」
「国宝の魔女になりたかったんじゃないの?」アリーは目を見開いた。不審がるような目つきだった。
「あなた…誰?」
こうも早く悟られるとは思わなかった。真実を知るのに子供を演じながら質問を繰り返そうとした。目の前にいるのは正真正銘の小さなジャンだから未来から来た本人の魂に憑依されても気づくはずないと高を括った。けれど昔から彼女の前では隠し事ができないほどに感が鋭かったが、まさかここまでとは思わなかった。
身を起こし決意した。嘘は通用しないので、最初から話すしかないようだ。アリーは何かを知ってるはずだ。
ジャンは全てを明かした。自分は未来から来たジャンであること。不思議な魔法で過去の世界を彷徨い、今まさに子供のジャンに憑依しているということ。未来ではジャンの命が狙われて、親友が殺されてしまったこと。それは三人の魔法使いのうちの誰かだということ。
泣き出しそうなのを堪えた。信じてくれるか怖かった。
「そう…。とてもつらかったわね。それは何年後かしら?」
「十四年後、二十歳になってすぐだよ。」
「未来の魔法は過去にまでいけるのね…。」
「それは…。」
「全て信じるわ。魔法が生きる世界で、何があっても不思議じゃないし、私や店のことをよく知ってるもの。」
ジャンは胸を撫で下ろした。
「よく似たことができる魔法使いを一人知ってるわ。今のあなたのように…。」
「憑依できる魔法使い?」
「そう。さっき読み聞かせたでしょう?『悪魔のジェニファー』…。三人の魔法使いの一人よ。」
「なら三人目の見習いの魔法使いマーリン?」
「彼はそんなことしないわ。マーリンはジェニファーを燃やした後、最も偉大な魔法使いになり、人々を従えてこの街を作った。そしてジュリアナの伝説として永遠に讃えられることになったのだけれど、それはさっき読み聞かせた、ハッピーエンドね。」
「けど二人目の東の魔女は魔法を使えなくなったんでしょ?」
「あら…残酷な歴史だからあなたには話さないつもりだったのに、どうやら知ってるのね。…そう。彼女は魔法が使えなくなってしまった肉体を弄ぶ残虐な魔女よ。」
「…まさか。」
「一人目の年老いた魔法使いよ。」
「けど、死んだんじゃ…」
「死んだとはどこにも書いてないわ。悪魔にガイコツの姿に変えられてしまっただけ。ジェニファーは彼の夢を叶えていたのよ。肉体を持たないガイコツは歳をとることもないもの。彼は文字どおり永遠の命を手に入れたのよ…。」
「そんなことって。」
「けれど彼はやがて肉体を求めるようになった。これは一人目の魔法使いの話し。」
再びおとぎ話を読み聞かせるような口調で彼女は静かに喋る。
「夜になると村や街に繰り出しては死にそうな人間の前に現れ、魔法で魂を操る実験を繰り返しました。ガイコツの姿を目にした人々はその姿を「死神」と呼ぶようになりました。」
ジャンは黒装束の鎌を持ったJOKERのトランプを思い描いた。あれは一人目の魔法使いだったのか。
「何千人もの命を弄び、とうとう彼は、自身の魂をガイコツの体から抜き出し、一つの肉体を器として手にしました。それは初めて完全な憑依に成功した瞬間であり、同時に寿命を再び手にしたのでした。肉体を手に入れても死神はその後も実験を重ね、自身の魂を他の器に入れ替え続ける黒魔術で実質の不老不死を手にした。そして研究の成果を一つの本にまとめましたとさ。」
「もしかして…。」
「あなたの下に隠してある黒魔術の本のことよ。」
この頃はベッドの下にあったのか。
「未来で奴は本を奪い返そうとしてるのね。」
「どうしてアリーがそんな本を持ってるの?」
「三人目の魔法使いは私の先祖なの。一族は彼から本を取り上げ、殺そうとしたけど逃げられたわ。末裔である私に魔法学院卒業と同時に命令が下された。」
「命令?」
「この本を一生隠し続けること。」
「それが夢を諦めた理由になるんだ。」
「可愛い顔して痛いところついてくるのねジャン。たかが一冊の本を隠すだけ…。けれど私はとても大事な使命だと思ったわ。国の魔女はつねに王様について回る、世界中を旅しなければいけないのよ。」
アリーは怖い顔をした。彼女はすがれる理由を作っては言い聞かせているようにも見えた。疲弊しきった顔を見て、彼女の選んだ道が間違ってたなんて言うことなど出来ない。だって俺は彼女が夢を諦めたおかげで命を救われたのだから。
ベッドの下から黒魔術の本を取り出しジャンに差し出した。
「参考になるか分からないけれど一番最後のページを開いてみて。」
開いてみると最後のページは真っ白だった。アリーは自身の親指を歯で噛み切った。
「ちょっ、アリー!」
「いいから見てなさい。」
アリーは落ち着いた様子で白いページに指から血を垂らした。ページはみるみる血が染み込み始めた。すると赤い文字が浮かびあがってきた。
《ペトロロス・ペンタゴン》
著者の名前だ。一人目の魔法使い、つまり死神の本名だろうか?
「死神は顔も名前も変えてしまってるだろうからすぐには分からないわ。けれどいつか私達の前に姿を表すはずよ。」
疑いは確信に変わった。おそらくあいつが一人目の魔法使いだ。そして俺のせいで…本が見つかった。
ジャンはすぐに黒魔術の本をめくり、何度も何度も速読をし始めた。
「どうやら私、あなたを巻き込んでしまったようね…。それだけは絶対にしちゃいけなかったのに。未来の私は一体何をしてるの?」
「アリーは東の国に向かったんだ…。」
ジャンはページをめくながら答えた。
「本を置いていったの?どうしてまた…。」
「俺の病気を治すためだよ…。」
「あなたのため…?」
ジャンは速読をやめて、アリーを見て言った。
「アリー…悪魔の俺を…影帽子に迎え入れてくれてありがとう。ご飯を毎日作ってくれて、こうして寝かしつけてくれて、本当にいろんな事を教えてくれた。これからもずっと、俺にとってアリーはこの世界で一番の魔女なんだよ?」
「ジャン…あなた。」
「大好きだよアリー。」
「ジャン…。」
「未来に帰るね。えっと…寝る前におまじない唱えておいて。この時は怖がりだったから。よろしくね!」
ジャンは屈託のない笑顔を見せた。視界が白くなりつつあった。アリーの悲しげな顔にノイズが走り出す。これで最後だ。
「ジャン!死なないで!私、どこにも行かない!あなたのそばにずっといるわ!!」
「ありがとう…。アリー。」