今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

夜の影帽子【5話】天使と悪魔

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 ドアが開いた。そこには一人の少女が立っていた。白いワンピースの彼女は黒猫を抱きかかえている。寝ぼけていたから天使が悪魔を懲らしめにきたのかと思ったが、彼女は今にも泣き出しそうな表情でジャンに尋ねた。

「あの、魔法は…ここで買えますか?」

  息を切らし、小さな額には汗で濡れた髪が張り付いている。ここを見つけるために走り回ったのだろうか?

「そうですよ。今は帽子屋だけどね。どうしたのかな?」

 安堵した様子の少女を見つめながら、子供の目線に合わせた会話をこなせている自分に頼もしさを感じた。突然の少女の来店に内心動揺したが自分はもはや老若男女問わず客に対して十分に対応できるのだ。マダムの言葉から目を背けるように、アリーがいなくても平気だと言い聞かせた。

「クロがね…ずっと。動かないの。」

 その黒猫のことだろう。ジャンは少女に近づいて胸で抱かれている黒猫をじっと見つめ、触れてみた。少女の温みがあるものの、本体の体温はなく、胸部に手を当ててみるが、脈拍は一切感じることはできなかった。それをしなくても最初から生命力がないことが伝わってくる。彼女にしたってもう死んでいることはわかっているはずだ。

「お母さんが…クロは天国に行ったんだって。」

「…それならお墓作ってあげないとね。」

「でもね!わたし知ってるの!この街には魔法があるんだって!おにいちゃん、魔法使いなんでしょ?…クロをね、生き返らせてほしいの…お願い…します。」

 少女はとうとう泣き出してしまった。店の窓から差し込む西日が少女の影を色濃く膨らませ始める。ジャンは動揺して、たじろいだ。どんな言葉をかければ良いかわからない。あたふたして店の棚の引き出しからとりあえず拭うものを取り出そうとした。

 子供とはいえ目の前で女の子に泣かれるのは初めてだ。ジョーならこういう扱いもうまくするのだろう。

 ジャンは適当に無地のハンカチを抜き出し、少女に差し出した。

「…ありがとう。」

 涙を拭き、ぐすんと鼻をすする小さな顔はリンゴみたいに赤くなっていた。

 ジャンは言葉に迷った。けれど魔法の事は素直に言うしかない。

「あのねお嬢ちゃん…。死んでしまった物を生き返らせる事は魔法でも出来ないんだ。ごめんね。」


「わたしね、ミラっていうの。」

 二人は椅子に腰を下ろして向かい合う。ミラは涙を出し切ってからは落ち着いたようだ。目を落としてクロを優しく撫でている。生前もそうしていたようにミラの膝の上で安らかに眠っていた。  

「もちろん分かってたの。でも諦めたくなくって。」

  ふとミラが大人びたように話す。映画の子役の演技を見ているようで、幼くも凛々しい表情はすでに完成されている。きっと美人な大人の女性になると想像した。

 ジャンには最初から妙案がある。それはクロが死体であることが分かったとき、誰かが遠くから手を振っているように感じた。きっと悪魔だ。

「そうだ。黒魔術がある。」

 

「黒魔術第一章【人間解凍】」

 死体に一時的に魂を呼び戻すことができる蘇生魔術。魂の浮遊場所、肉体の状態、術者の魔力などで魂が肉体に滞在する時間は千差万別である。私の数多くの実験を経て測った平均時間はおよそ五分間である。以下の条件を満たした上で術式を唱えよ。

・死後二日以内の死者の肉体が目の前にあること

・術式を唱える際には……

 

 初めて黒魔術の本を手にした十五歳の時、ジャンは思わず吹き出した。ご丁寧に条件まで添えて事細かく説明する割には、内容は支離滅裂だと思った。魂を操る魔法など不可能だ。これはきっと誰かのジョークだと…。

 創作と思った決め手は魔法にいちいち名前を付けていることだった。年頃のジャンからしてもそれは痛々しく感じる。著者の過去における妄想の産物が今現在見知らぬ誰かに読まれてしまっていることを心より同情する。本のどこを探しても著者の名前は載っていない。

 いつも本を手にするとアリーに必ず取り上げられ、叱られた。どうしてかと聞いてもはぐらかされる。…本物なのだろうか?

 実際にこっこり試そうとしたことはあったが、それに見合った状況がなかった。死体など簡単に見つかるものではない。無論一度死んだ生き物が生き返るはずがないのだが…。

 黒猫は魔法の免疫力が高いと昔習った事がある。もしもクロの身体の近くに魂があるとしたら…。動物でうまくいくか分からないけれどやってみる価値はあるかもしれない。アリー不在の今、この機会しかなかった。

「試したい…。」

 ジャンは拳をぐっと握りしめた。もし成功すれば、この黒魔術とやらが本物だと証明できるし、失くした自信につながるではないだろうか?

 目が紅葉し始めそうだった。ジャンは席を立ち、ミラに待つように伝えた。ミラはクロを夢中で愛でていて空返事だった。

 足早に階段を駆け上がってアリーの部屋の中を探した。しかしあの本は見当たらない。アリーは毎回違う場所に隠すので本の内容なんかよりも宝探しのような気分でよく見つけ出そうとしていた。

 何故かそれはジャンのベッドの下にあった。黒魔術の黒い本。黒革に包まれ見た目は古いが丁寧に装丁されている。本を開くとトランプカードがパラパラ落ちて来た。

「なんでトランプが挟まってたんだ?」

カード取り除いて、その本を両手で大事に抱えた。心拍数が上がっている。興奮状態の最中、ふと冷静な自分が問いかけた。

「これって悪いことなんじゃない?」

 理性は本を持ち出して店に戻ろうとするジャンを引き止めた。胸に押し付けた黒い本が自分の鼓動で動いていた。おそらく目も赤くなってるだろう。

 一度、目をゆすごうと洗面所に寄った。案の定、目は綺麗に赤く染まっている。すると鏡の中の悪魔が言った。

「いい加減受け入れろよ。楽になるぜ?」

「黙れ。」

「俺はお前を誰よりも分かってる。お前は帽子屋でも魔法使いでもない。本当はジェニファー様みたいになりたいんだろ〜?」

「違う!!これは悪魔の本能じゃない!これは…魔法使いとしての好奇心、そう!好奇心なんだ!!」

 鏡の意見を否定し、何度も目をゆすいだ。落ち着くために深呼吸をしてから、また足早に店に降りる。本を抱えて…。

 

 ミラが階段から降りてきたジャンを見るなり不安げな顔で尋ねてきた。

「誰かに怒ってる声が聞こえてきたんだけど…。」

ジャンは接客用の笑顔を貼り付けた。

「ああ!気にしないで…!」

テーブルについて、いよいよ本を広げた。ジャンは【人間解凍】のページを開き確認のため黙読を始める。ミラは不思議そうにジャンを見ていた。

「よし!始めよう。」

 クロをテーブルの上に寝かせて、本を手元に置いた。ジャンは固唾を飲む。手が震え始め、息荒く術式の冒頭を口にし始めた。詠唱がやけに長いので淡々と一字一句丁寧に読み上げる。

それは術式の下の句に差し掛かった時であった、

『うるせぇ!!!ぶち殺すぞッ!!!!』

 怒鳴り声が響いた。すぐに静まりかえり、ジャンは振り返った。声は誰もいるはずがない背後からであった。ミラは唖然として、徐々に怯えた表情でジャンを見始める。

 店の外ならまだ分かるが、後ろの棚から?この空間で放ったような、まるですぐそこに誰かいたような反響。怪奇現象のような不気味さもあるが、凄まじく怒り狂って雷を落としたような衝撃にうろたえた。あの声には聞き覚えがある。あれは…

「まさかね…。」

気味が悪い。今のは一体、何だったのだ?

 そのとき少女は猫を抱えて店を飛び出した。ジャンは引き止めずに、走り去る彼女の背中を呆然と見送った。熱った体が急速に冷めていく。本を閉じて椅子にへたり込むように座り、頭を抱えた。

「しまったぁ。店の評判が…。」

 いや、そんなことより悪いことをしたのだ。クロに会わせてあげたいという気持ちはあまりなかった。好奇心に突き動かされ、己の成果を取り戻すために彼女の大切なものを巻き添えにしようとした。あくまで本物であればの話しだが、冷静に考えて黒魔術で魂を呼び出す行為は倫理的に間違っている。さらに言えば宗教的にもだ。たとえ死んでいたとしても、故人を惜しんでたとしても、命を弄ぶ行為となんら変わりないのではないだろうか?手前勝手に魂を呼び出して召喚するなど、やはり故人に対する冒涜だ。俺はクロで実験しようとした悪魔だ…。自分の愚かな行為を誰かが止めてくれたのかもしれない。もう少し言い方というものを考慮していただきたいものだが…。

「他にできることがあるはずだ。」
 ジャンは奮起して立ち上がった。するとテーブルに置いてかれたハンカチを見て思いつく。

 棚から裁縫箱と道具一式を取り出した。作業台に座り、ハンカチに鉛筆で黒猫を描いた。

 黒い刺繍糸を針に通し、図案に沿って黒猫を塗りつぶしてゆく。魔法は使うまでもない。さっきの黒猫をよく思い出しながら、久しぶりに自らの手で丁寧に作業を進めた。手を動かしながらミラの怯えた表情がよぎる。

 

「うわ、もうこんな時間か。」

 ようやくハンカチの隅を歩き回る親指ほどのクロが完成した。やけに時間がかかった。大きく伸びをして、一息つく。しかしこれでまだ終わりではなく、ジャンはハンカチに魔法かけ始める。

 

 窓を開け放ち、熱のこもった作業部屋に涼風を招き入れた。風の爽やかな匂いでどれだけ息苦しい部屋だったかがわかる。

 ジャンは冷蔵庫から生肉を取り出して、ある程度の大きさにちぎった。赤身を乗せた手を窓から掲げるようにして呼び寄せの魔法を使った。

 すると間もなくしてカラスが一羽バサバサと飛び込んで来て窓の淵に荒々しく着地した。

「やぁ久しぶり。やっぱり君だけだね。」 

カラスはジャンの方を見て何度も首を傾げた。

「お使いを頼みたいんだ。この包みをミラっていう女の子に届けてほしい。中身の匂いで辿ってくれ。…うん。…そう。これで頼むよ。」

 カラスが承知したと言わんばかりに鳴き声をあげて器用に鋭い両足で包みを掴み、自身の頭くらいの生肉を咥えて飛び立っていった。

 包み込んであったのはハンカチと一枚の手紙であった。

 

【ミラへ】

『さっきは怖い思いをさせてごめんなさい。帰りは道に迷わなかった?

おそらくもうお店には来てくれないだろうから少し手の加えた忘れ物を受け取って欲しい。

クロが生きていた時の温もりと匂いを再現してハンカチに染み込ませてみました。それはどんなに洗っても消えない特別な魔法です。ずっと君のそばで見守ってくれる。

寂れた通りの魔法使いにはこれぐらいしかできないけれど、もしよければ大切にしてみてください。自己紹介がまだでした。』

        【夜の影帽子 ジャンより】


 同封した手紙をミラはどんな気持ちで読むだろうか。出来れば喜んでもらいたい。ジャンは期待と不安を感じながらテーブルの上でぼんやりコーヒーをすすり、作業の余韻に浸っていた。頭痛も二日酔いもいつのまにか消え去り、気持ちが良い疲労を取り巻く達成感によってジャンの不安はカフェインとともに流れていった。この感覚は嫌いじゃない。

 自己満足な償いを押し付けてしまったかもしれないけれど、誰かを想って初めて自分が出来ることをした気がする。

「というか。カラスが急に飛んできたら怖いよね?」

 まぁいっかぁーと欠伸をしながら寝室に向かおうとした時、テーブルの上に置かれたままの黒革の本が目についた。徐ろにページをパラパラとめくる。

 アリーは頑なに黒魔術を拒みジャンに禁止した。禁止したわりには隠し方がいつも雑だ。多分、持ち主のアリーにもその魔法が本物かどうか分からないのかもしれない。それかジャンの魔力では発動しないと思われているのだろう。

「人は死んだらどこへゆくのだろうか?」

  本当に魂を呼び戻すことなどできるのだろうか?この世界には未知なことで溢れかえっている。それは本棚の知識では決して追いつくことのないのだ。もしも病気が治ったら外の世界を冒険家のように旅したい。この目で見て周りたい。

 影帽子に縛られた若い悪魔はベッドの上で心が躍動するのを感じた。揺れるろうそくの灯火に蓋をして眠りについた。