今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

愛を蹴ってしまった〈前編〉

 大切な約束があった。二か月以上前から把握していた実家の姉との約束であった。僕はその日のその時間にバイトのシフトを入れてしまった。ワザとではなくうっかりしたミスだった。空白にしたつもりだったのにシフト表を見て驚いた。間違いだと思ったが過去の登録したシフトの送信履歴を見るとしっかりと僕自身が〇にしていたのだ。大切な姉との約束。僕は姉に謝った。姉が残念そうで少し気合を入れていたのが余計に悔しかった。僕は外せない仕事が入ったからと嘘ではない嘘をついた。仕事といってもバイトだ。仕事という言葉に変換すれば許されるととっさに思ったのだった。僕はどうやらたちが悪い。代わってくれる人を探せばよかったが頼ることを迷惑だと思ってしまい結局周りに声をかけることができなかった。いや、ただ億劫だっただけなのかもしれない。逃げたな。

 これは大きな事件ではないがこのラインのやり取りが今日という休日の朝の身体を強く押し付けた。罪悪感に苛まれ、目が覚めても布団からまったく出たくなかった。布団に絡み合い、スマホYouTubeに逃げた。現実逃避で僕は高く飛んだ。すべてを忘れられた。時空を超え我に帰るころには12時をまわっていた。8時に起きたというのに。それもまた僕に罪悪感を植え付けた。

 起きて………起きて曲を作らねば。寝ぼけ眼で時計を睨んだ。

 『しなければならないは、してはいけない。』いつしか読んだ本に書いてあった。自己啓発本は信仰のない人のための聖書や経本のようだ。頭の中の小さな図書室からその言葉が貼りだされた。『しなければならないはしてはいけない』句読点なしではまるで呪文のようだ。ただでさえ本棚がスカスカのこの図書室にこの言葉は幅を利かせすぎだ。買い集めた哲学書の類はすべてブックオフに売り払ったというのに(10冊で500円で売れた)そんなことが書かれた本自体はなくなったが、言葉はいつまでも残った。せっかく重いケツを叩いて行動しようとした時にいつも思い出してしまう。この言葉は十分に怠惰の言い訳になりえたのだ。音を楽しむと書いて音楽とは言ったものの、曲なんていつもがいつも大好きで、作りたいと思うときに作れるわけではない。めんどくさくても作らなければ前に進まないのだ。といいながらも僕は起きても一向にパソコンに向き合えなかった。そうだ…食器がたまっている。先に洗い物をしなければ…

『しなければならないはしてはいけな…「うるさいなお前は!!」

 シンクからはみ出るほどの食器の山をスポンジと洗剤で小さくしていく。今度は真横の水切りカゴに徐々にきれいな山が作られる。

 洗い物が終わった。いつも思うけど水回りを掃除すると少し元気が出る気がする。水に触るのが心を落ち着かせるのかもしれない。掃除という行為そのものが心の整理であったりもする。なんにしてもやることリストが一つ埋まっただけで嬉しい。食べる限り永遠に続くチェック項目ではあるが……。

 姉への罪悪感、午前中を無駄にしたという無駄な罪悪感。曲を作らなければならないという誰に頼まれたわけでもない孤独な切迫感。ついでに将来への不安。見事にきれいに混ぜ合わさって今日はほら!この天気!

…ドン曇りである。

 曇りだから気怠いのか、憂鬱だから曇りなのか。後者なら僕は神様だ。

 寒くなってまた布団に、ぬけがらにもぐってしまった。神様、僕に雷でも落としてくれませんかね?

 カーテン越しから光が伝わった。晴れてる?午後1時の少し冷めた日差しも午前の灰色の空の後では朝日に見えた。カーテンを開けると晴天だった。今からでも遅くない。僕は飛び起きた。出かけよう。外に出なくては……。僕は遅刻でもしてるかのように着替え、コートを羽織り、急いで玄関を出た。

 ……鍵かけたっけ?