愛を蹴ってしまった〈後編〉
前回の続きです…が、多くがある小説の感想文のようになってしまいます。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑。ここは海外の戦場で亡くなられた慰霊追悼のために国が設立した墓苑である。日中戦争、太平洋戦争の戦死者のうち戦友等により持ち帰られたお名前の分からず、引き取り手のいない37万69柱のご遺骨が安置されている。
千鳥ヶ淵から門を通り、少し道を上ると、神社にあるような表門が見える。今さっきの千鳥ヶ淵よりもさらに静寂で、見られているような緊張感が漂う。気持ち背筋を伸ばしてしまう。あたりに人はいない。
手を洗い、表門をくぐると、庭園のような開けた空間、その中央に六角形のお堂があった。これが納骨堂である。屋根の下には花を添える献花台と陶棺があり、この地下に骨壺が安置されているのだろう。
僕はお辞儀をして、手を合わせた。
戦争への理解があまりに浅すぎる。この場所に来て参拝させていただき、彼らを弔うこと。そして感謝し、平和を願うことは日本人としてまったく正しい行為だと思う。…思うのだけれども、その一方で何も知らずにのうのうと暮らしている自分に果たして祈る権利などあるのだろか?と思ってしまう。傲慢かもしれない。冒頭の表面的な内容にしたってネットの情報で、僕が調べあげたものではない。
僕にはここに来る権利があるのだろうか?さっきのサラリーマン達のように地に足をついて家族のために暮らしているならまだしも、堕落した生活に身を置きそのうえ自分の好きな事をして食べて行こうとしているこんな精神で、日本のために命を捧げた戦士達のために祈る権利などあるのだろか?
「権利っておかしいと思う。」
今読んでいる西加奈子さん著作、小説【 ℹ︎ 】のセリフを思い出した。
主人公の女性、アイには世界中で起こっている事故、災害、テロ、戦争で犠牲になった死者の数をノートに記録する習慣がある。アイは自分が何一つ不自由のない裕福な生活をしていることに罪悪感を感じている。事件が報道されるたびに胸を痛めるが、いつも疑問に思う。どうして私じゃなかったのだろう?と。
「命の危険を、その恐怖を語る権利を得たかったのだと思う。」アイは恋人に告白した。
僕だって免れている。平和な時代に生まれ、日本史の戦争の授業を机につっぷしてろくに聞いてもいなかった。まるで自分には関係ないかのように。今さら何も知らない自分が恥ずかしくなる。知れる、取り入れることのできた環境が恋しくなった。学校には戻れないが、学ぶことは今からでも遅くはない。
僕は手を合わせながらこの国の戦争の歴史について最低限は知ろうと思った。そして感謝した。少し恥ずかしくも感謝した。命をつないでくれてありがとうございます。靖国神社と違って後ろで待つ人はいない。頭を下げたまま長く祈ることにした。
一輪の花を添えよう。献花台にはすでに多くの白い花が置かれている。今日来た人達のだろうか?きっとこの場所に毎日参拝しに来る人もいるのだろう。
一輪100円と書かれた花の無人販売を前に僕は財布を広げた。…あ、小銭が500円しかない。
んー。戻って自動販売機でお釣りを出すか…いやさっき買ったミルクティーあるし。いっか。めんどくさい。…入れちゃえ。この一輪に(5人分の)想いを託そう。
参拝を終え、墓苑をあとにした。
僕は千鳥ヶ淵緑道のベンチで残り20ページの本を読み進める。
西加奈子さんの小説はよく宣伝されるし、僕の好きな芸人、オードリー若林正恭さん、ピース又吉直樹さんとも本当によく共演するものだから自然とその名前は目にしていて、吉祥寺の古本屋さんで初めてサラバを手に取り、夢中になって読んだ。この人の小説は優しさと希望で溢れている。サラバは僕にとって一生忘れることのない小説だ。
そして今読んでいる【 ℹ︎ 】が結末を迎えようとしている。おこがましくもこの小説のテーマが今の僕に合っているような気がした。この小説に出会わずしてこの墓苑に来れば、ただただ自分を責めたはず。
(こんな戦争に苦しみ亡くなった人がいるのに、何を小さなことでクヨクヨと死にたがっているのだ!この贅沢ものめ!)
そう自分に言い聞かせてとぼとぼ帰っただけである。もちろんそれも重要な真実ではある。
アイは優しかった。この小説で不幸比べなどいかに不毛か伝えてくれた。
アイは優しかった。人々の悲劇を嘆くアイに対して、僕は世界の惨劇を前にしても机につっぷせる冷酷さを持ち合わせている。そしてそんな自分をたぶん変えることはできない。変えるとしたら教科書越しでもテレビ越しでもなく、惨劇を前にこの目で見るしかないのだ。
アイは優しかった。世界の惨劇を、他人の不幸をよそに僕はいつも僕だけのことを考えている。僕自身のことでいつも頭を抱えながら生きているのだ。きっと今回の新曲も自分の世界観の押し売りかもしれない。エゴイズムとナルシシズムのお堀に愛を蹴ってしまった歌詞など人の心に響くはずがないと思ってしまう。
アイは優しかった。いつか僕にも愛で溢れた、誰かの希望になるそんな曲を、そんな物語を紡げる日まで、こんな僕だって作り続けなければならない。歌い続けなければならない。
良いか、悪いか。
売れるか、売れないか。
玉ねぎの下か、誰も止まらない路上か。
幸せか、不幸か。
関係なく、僕は僕が存在していることを、これからも証明しなければならない。それを続けなければならない。それは自分のために、そして、いつか誰かのために。
また嘘をつくなら真っ白な嘘をつきたい。
図書室に貼られた
「しなければならないはしてはいけない」
そんなことはない。僕はそれを破り捨てた。
僕は生き続けなければならないのだ。
千鳥ヶ淵のベンチで本を閉じ、寒さで震えた声でつぶやいた
「僕はここだよ。」
愛を蹴ってしまった。終