今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

つり革。

 

 津島勇気(22)はつり革を強く握りしめた。それは彼自身の最大握力で、手が震えないほどに強く。-だってつり革など私の握力なんかで変形するはずもないのだ。-

 人身事故の影響で彼はホームで散々待たされた。彼が初めて居酒屋で一人飲みデビューをした後である。彼はビール中ジョッキ2杯と焼き鳥の盛り合わせで十分出来上がることができた。その日は金曜日で明日に何の支障もないが、それでもできれば早く帰路につきたかったはずである。ホームへ続く階段から顔を出して見た光景で彼は悟った。停車したパンパンの電車の前で綺麗に列を作っている人々、響き渡るアナウンス、そして次の発車時刻は現在より1時間前である。

 さすがに絶望とは大袈裟なものだ。しかし彼にとってそれはとどめであった。先ほどの居酒屋は頼んだソース焼きそばが40分経っても出てこなかった。痺れを切らして定員に声をかけてみたらやはり注文されていなかったのだ。お愛想して店を出た彼にビル風は異様に強かった。

 それだけ?たったそれだけで彼は1時間前に吉祥寺駅で飛び降りた彼?彼女?の事を想わずにはいられなくなったのである。それはきっと酔いのせいであった。自らの意思で飛び降りたのか、不慮の事故かなども知らない。真実など知りたくもない。しかし前者であれば、何故金曜日に?と思った。彼(仮)にとっても明日は安息であったかもしれないのに。

 だからこそ…なのだな?希望を手にする寸前だからこそ、虚無に襲われるのではないか。勝手な空想が過ぎる。彼への勝手な詮索はここまでにしておこう。だがな、自殺者に舌打ちする輩よりはマシであろう。と彼はベラベラと脳内で対話をして発進を待った。

 


 車内で津島はつり革を持ったまま直立であった。満員電車はあえて避けて次の快速を待ったので密着度はそうでもない。先ほど居酒屋でスマホは散々見飽きてしまったし、持参の本を読む気になれなかった。目のやり場は広告…も、飽きてゴロゴロしていた。

 右の女性はスマホYouTubeの生配信、彼女はどうやらユーチューバーよりもコメント欄に夢中でひたすらスクロールを繰り返している。左の若い男性は缶ハイボールを片手にラインで誰かと長文のやりとりをしている。 

 津島勇気はいまだにwwwを活用する事ができない。ネット出身の陰湿なイメージはとっくに通り過ぎているはずだ。いまだwを使うことに抵抗がある。彼は若者の一人のはずだが、周りからは年齢よりも老けて見えたそうな。

 


 焼きそばを食べていたらすんなり電車に乗れたかもしれない。そもそも今日一人で呑みに行かなければ事故の寸前で最寄りに着いたかもしれない。

 津島勇気は悲観的主義かつたられば癖の激しい未練がましい男子であった。いつも些細な行動が全て人生に影響をもたらすように感じている。彼のシラフ時の完璧主義も多少関係があるのではないだろうか。

 あの日、太宰治の墓の前で花を折ってから、他人の自殺を異常に意識するようになってしまった。文豪のせいにするとは手前勝手極まりない。しかしどうも最近彼は気が触れはじめていると感じていた。墓に向かう途中の無人販売店で買った花束、太宰にとって命日でも誕生日でもない日に津島勇気の都合で勝手に参り、それを生けた。左右のバランスが悪いと思った津島勇気は、一度生けた花を抜き出し、白ユリの立派な茎を、彼の前でボキッと折ったのである。あれは無礼であっただろうか。しかし綺麗な見栄えになったと彼はその日満足し帰った。

 

「どうでもいい。関係があるわけないだろう。」

ようやく最寄り駅の改札を抜けて、自宅まで歩き出した。 新宿のビル風に比べ、夏の終わりを感じる地元の涼風に津島勇気は安堵した。

 5メートルもない横断歩道で信号待ちをする人々の後ろにつき、彼はせめてマスクを外した。空気の匂いがご無沙汰に鼻に入り込む。

 家の前でミンミンゼミが静かに地面に伏せていた。

「燃え尽きたのかい?」

 彼はまだ酔っていた。道端に落ちた死体かもしれない虫に話しかけている。

「それならいいよ。夏の手前で死んじゃう人もいるんだから…。」

返事はない。やはり屍のようだ。「よく生きたね。」

津島勇気は今日も帰宅した。