今夜ユウノカリイショ

エッセイや小説を投稿いたします。拙いですが、よろしくお願いします。

夜の影帽子【4話】マダムステラ

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「これも素敵ね。でも…こっちの方がいいかしら?」

「どちらもすごくお似合いですよ〜。」

 マダムステラは鏡の前で帽子をかぶっては外し、十あった候補の中からようやく三つに絞りこめた。彼女の場合はここからがまた長い。

 ジャンの表情筋は限界だった。それよりもジャンが気に入らなかったのは選ばれた帽子が全てアリーの作った商品であった。


 アリーとはこの店「影帽子」の店主であり、ジャンの魔法の師匠であった。アリーは魔法を教える代わりにこのお店を手伝ってほしいとジャンに持ちかけたのだが、ジャンはまだ当時八歳にも満たない小さな悪魔で、魔法欲しさによく分からないまま契約をのんだ。

 昼は帽子屋、夜はまじない屋。幼いジャンは夜になるとまじない屋の門をたたいた。アリーは商売の隙間を縫って魔法を教え、ジャンも帽子作りや、魔法薬の調合を手伝った。

 当時孤児だったジャンは日の当たらない地下道でやり過ごした。捨てられた新聞紙で文字を覚えて、たまたま拾い上げた小説の魔法使いに強い憧れを抱いたのだ。そんなジャンがアリーに出会えた事は奇跡であった。

 泥だらけのジャンが店に来るとアリーは笑いながらこう言うのだ

「それじゃ商売あがったりだよ!ほらおいで。」

 アリーはジャンの服の汚れと臭いを魔法で払った。身体も一瞬で綺麗にした。何故かいつも顔だけはアリーが温かいお湯に浸したタオルで拭いてくれていた。それがくすぐったくて、気が緩んだジャンは初めて笑った。アリーは優しい眼差しで微笑み、ジャンを抱き寄せた。

「これからはもう、うちにいなさい。」

彼女は悪魔であるジャンを家に招き入れた。あれから十二年も経つ…。

 

「どちらがいいかしらねぇ…。」

 マダムステラの新しい帽子はようやくニ択に絞られた。鏡の前でかれこれ一時間近く苦悶している。帽子一つにつき様々な向きを変え、顔の角度を変え、組み合わせるコサージュ全色を試したあげくにポージングを取り始める。

 彼女は昼のお店の数えるほどの常連のうちの一人だ。アリーとは仲が良く、帽子を買いに来るよりも喋りに来ることの方が多い。一番街では名の知れた閨秀作家らしく、上流を思わせるような服装に上品な印象を受けるもどこか妖艶さを感じる。もしかしたら彼女も魔女なのかもしれないとずっと思っていた。

「それにしてもあなたも大変ねぇ。」

鏡越しにマダムが話しかけてきた。

「何がでしょう?」

「アリー、まだ帰ってきてないんでしょう?」

「はい。もう一ヶ月くらいは経つんですけど。」

ジャンは目を伏せて答えた。

「家を開けることはよくあるんですけどこんなに長いのは初めてです。」

「そう…。でもきっと大丈夫よ。じきに帰ってくるわ。私も急にふと、誰にも言わずに旅行とか行きたくなっちゃうのよね。」

マダムは鏡の中で笑った。

「それまでは私が売り上げに貢献してあげるわ。」

彼女はアリーと似て不思議な魅力と説得力があった。

「ところで…あなたの作る帽子は…あれね、アリーの帽子をよく見てるのね。とてもうまく再現できていると思うわ。」

 マダムは壁にかけてあるジャンの作った帽子を手に取って観察し始めた。マダムはいつもジャンの帽子を手に取るが被りはしてくれない。「再現」という言葉に引っかかった。まるで模倣してるだけのようだ。

「恐れ入ります。ありがとうございます。」

しかしマダムが言いたいことはそれではない事を感じとった。

「ただ…。」

ほら来た。

「あなた、魔法使いと帽子職人…どっちになりたいの?」

 彼女は冷たい顔をした。見えない角度からするどく刺さる彼女の言葉は、ジャンを口籠もらせるのに十分であった。

「…もちろん魔法使いです。」

  ようやく口にできたとき、胸を張って即答できない自分が悔しかった。帽子職人になりたいわけじゃない…。かといって上級の魔法使いになれるほどの才能がないと思えるほど最近は自信をなくしていた。

「そうなの…。どおりで帽子が中途半端になってるわけね…。」

「それは、どういうことでしょうか?」

マダムは鏡を見るのをやめて、こちらに向いて微笑んだ。

「あなた、恋はしてる?」

「…はぃ?」

 この人は何が言いたいのだろうか?それは異性に…?それとも物事に対して…?どんな意味合いを込めてそう聞いたのだろうか?どちらにしても、広告のキャッチフレーズのような陳腐なセリフに辟易とした。

「商売はそんなに甘くないわ。あなたの作品、誰のために作ってるのか見えてこないのよね。もしかしたら魔法もね…。」

 まるで芸術のように扱うけども、これはあくまで衣服の一部であり、商品だ。誰のためにとはお客の為に決まっている。魔法だってそうだ。生活の役に立てばそれでいいではないか?

 心中ではそう言い返すが下手に口には出せなかった。こうしていつもこの人に対する好感度が上下を繰り返しているのだ。

 再び鏡に向き合い、彼女は静かにまた帽子を選び始めた。

 迷いに迷った挙句に結局マダムは両方共買った。アリーもいないし、貢献などとリップサービスしてくれたがしばらく来ることはないだろう。結局は二兎追うものは一兎も得ずと言いたいのだろう?あなたこそまさに帽子を選べなかったではないか?それとも私の若さの秘訣は「恋」よ!と自慢したいのだろか?

 

「恋だの愛だの馬鹿馬鹿しい。」

 マダムを見送り、全身の力が抜けたジャンはため息混じりに一人呟く。昨日のワインも身体に残ってるようで少し気怠かった。頭痛もある。

 そういえばこの間も相当の二日酔いで昼過ぎまで店を開けられなかった。前日の夜にジョーとワインを二本も開けた事だけは覚えている。二度と飲むものかと誓ってすぐにこれだ。アリーはあの日から店を空けた。せっかく店を任されたのにもかかわらず、早速初日に営業時間がずれてしまったという失態は今でも忘れない。

 椅子に腰掛け、机にうなだれる。ジャンは不安であった。アリーはもう帰ってこないのだろうか?

『誰のために作ってるのか見えてこないのよね。』

  マダムの言葉が頭痛に便乗した。帽子を作るためにここにいるわけではない。人の役に立つ魔法使いになるためであった。しかし地味な魔法しか使えない自分にやがて諦めるという選択肢が浮かんできた。帽子作りも、魔法も、極める気力がそこを尽きたように感じた。子供の時のように純粋に飲み込み、恐れ知らずに挑戦する姿勢は一体どこへいったのだろうか?ジャンはウトウトとし始める。


 暗闇の中、ランプの火に照らされ、ミシンに向かい合うアリーの横顔が好きだった。小さいジャンはその景色を見つめながら眠りにつく。時々アリーが魔法のお話しをしてくれたのも好きだった。

 アリーは昼の仕事に魔法を使わない。刺繍をするときも、編み込むときも、引き出しを開けることでさえも。魔法を使えば時間もかからない、疲れることもない。微量の魔法で指図すれば全ての道具が言うことを聞く。ジャンはある日アリーに聞いた。

「どうして魔法を使って作らないの?」

アリーは笑って答えた。

「使ってるわよ。こうして折り込む時にね、おまじないをかけるの。この帽子を被った人達に幸せを運ぶおまじない。」

 いつからか、温かみのあるアリーの言葉もむず痒さを覚えるようになった。お構いなく全ての工程に魔法を使い作業を進めた。断然効率よく量を作ることができた。ある時にはアリーよりも数多く作れた事を誇らしげにアリーの目の前で帽子の山を作って見せた。アリーはすごいすごいと笑ってジャンを褒めてくれた。


 ふと目が覚めた。夕陽が差し込む店内に通りを駆けてく子供達の笑い声が響いた。机に突っ伏したまま寝てしまっていた。頭の霞は徐々に晴れ、現実を直視したくない寝ぼけ眼はぼーっと机上のシミを眺めていた。いつかの夢を見ていたようだった。するとベルがカランカランと鳴り、店のドアがおそるおそる開く。ジョーではないことはすぐ分かった。そこに立っていたのは黒猫を抱きかかえた少女であった。

「‥いらっしゃいませ。お目当てはどうやら帽子じゃなさそうだね。」